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"昨日のつづき"

『今、○○たちとZoom飲みしてるんだけど、よかったら来ない?』

『週末、オンラインで話さない?』


塞翁が馬、とでも言うべきなのか、ここ最近の出来事以来、高校や大学の同期から急にこんなLINEが届くことが多くなった。

普段、自分からあまり連絡をとらない――いわば、しょうもないサブミッションを与えてくるモブ村人のような――性分なので、自分から『Zoom飲みやろうぜ!』などと言うのはごく稀。
ただ一方で、誘われればここぞとばかりに乗っかり、嬉々として酒瓶を抱えて部屋に籠もる、我ながら実に単純な男だと思う。

そもそも高大それぞれ、卒業後の進路も違えば拠点もかなりバラけていて、特に大学の同期は卒業以来1度も会えていない人がほとんどだったわけで。

大学卒業までは盛んだったSNS(特にインスタ)も、めっきり投稿の数も減り、突如として増えるストーリーズの波が週末の到来を告げるくらい。

――というのは、僕視点の彼らの"近況"

向こうからすれば、ただでさえ留年してるのに消息がつかめないわ、いつの間にか松山から居なくなってるわ、定住がないかのようにやたら東京やら名古屋やら仙台やらへ行ってるわ、思い出したようにインスタに浮上したかと思うと、当人差し置いてハリネズミにジャックされてるわ、といった有り様に映っていたようで....。
(全部実際のクレーム(?)です)

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実際に何度か参加してみると、友人たちと自分にちょっとした感覚のズレが見えてきた。

久しぶりに会うと、つい近況報告大会(ここで厄介なのが交じると、勝手にマウントを取り出したりもする)で1枠使い切ってしまったり、昔話ばかりしてしまったり、有象無象への悪口ばかりになったりしてしまう。

日頃の、あらゆる鬱憤を発散する場だから、仕方のないことかもしれない。

だが個人的には――実際に呼んでもらえて、顔を合わせられるだけで嬉しいし、そうした会話も必要なことは解っているのだけれど――せっかく集まっているのに、貴重な時間をそういった会話に割きすぎるのは、少し勿体ない気がしてしまう。


誰も同級生を前にして、仕事の話なんかしたくないはずなのに。


少し言葉に落とし込むのが難しいが、昼休みの教室や学食、行き帰りの電車内で交わされた、『昨日のつづき』みたいな感覚で繰り広げられる会話がしたい。

そこでは、わざわざ近況や自慢で土台を固めることもないし、毎度の如く昔話をするわけでもない。
(まぁ悪口は少しあるかもしれないけど)


結論が出ない議論でも良い。

ボケをボケで返すような、ラリーの続かないやり取りでも良い。

そうした、屈託がない会話ができる関係性が、"親友"と呼ぶべき存在なのかな、と思ってみたり。


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ところが、今となってはこれがかなり難しい。
実際に思い浮かぶメンツもごくごく限られている。

当然だろう。
もう、住む場所も違えば、曝されている環境も違う。

慌ただしい日々に追われて、そういった余裕もないのかもしれない。

『お前ら実感ないかもしれないけど、こうやって同じ教室に集まって、みんなで一つのことやって、毎朝『おはよう』って言い合える場所って、高校が最後だからな』

卒業も間近、確か自由登校になる少し前だったか、担任が不意に口にした言葉の意味を、ようやく理解できたような気がする。


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宴もたけなわと、口々に別れの言葉を投げながら画面から消える友人の姿を見ると、ふいに思い出す。


なけなしの金で買ったアイス片手に歩いた坂道。

自分が買った、『牛すじ1本、つゆ波々』のコンビニおでんを仲間内で回し飲みしながら、おにぎりをがっついた帰りの電車の中。

徳利1本に猪口3つ、大したつまみも頼まずに1時間以上粘った居酒屋のテーブル席。

缶チューハイに缶詰をアテて乾杯したアパートの自室。

そこでの会話一つ一つを覚えてないし、きっとそれに値しないようなくだらない話をしていたはず。




空っぽになった画面脇のタンブラーを眺めながら、なんとも言えない寂しさを抱えて余韻に浸る時間が、たまらなく切ない。




最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは、今日はこの辺で。

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