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夫はどうやら、胸オペをしたぼくに興味がないらしい

胸オペを終えてタイから帰国し、シャワーを浴びて、裸のまま脱衣所からリビングにいる夫に声をかける。「ねえ、見せてあげようか」
しかし彼からは、間髪入れずにこう返ってきた。「汗が引いたら早くバンドで固定しないといけないんでしょ。風邪引くし、早く服を着な」

え。うそでしょ、興味なさすぎじゃない?

びしりと上裸で固まる。もしかしてまだ彼は、ぼくが胸を切り落とすことに対して不満を残していたのだろうか。「女性」でなくなったぼくの身体を、未だ拒絶しているのだろうか。

怯えと怖れの混じった気持ちで、脱衣所の鏡に映る自分の胸を見つめる。うっすらとふくらみを残した、性別不詳な新しい容れ物。女性のような乳房はなく、かといって男性のようにフラットでもない。『永遠に僕のもの』のときのロレンソ・フェロのような、やわらかさと骨っぽさが同居した身体。

ぼくの本来あるべき姿。生まれてからずっと、取り戻したかった正しい体。それについては何度も話し合ってきたし、最終的には彼も「君の好きなようにしたらいいと思うよ」と応援してくれていた。……はずじゃなかったのか。

術後から2週間近く付けっぱなしだった固定バンドを手洗いし、代用としてあらかじめ楽天で頼んでおいたナベシャツを装着し、そしてリビングに戻る。彼の隣に腰を下ろして、ちろりと様子を伺う。しかしながら、彼はいたっていつも通りに見えた。考えていることが顔に出やすいタイプだけど、そこにはいかなる動揺も不安も感じ取れない。

なにを考えているのか、いま彼がどういう感情を抱いているのか、まったくわからない。「お腹空いてるんでしょ、お茶漬け作ってあげるから髪を乾かしてきな」と促してくるオカンみ強めな指示も、いつもの彼そのものだ。無理をしている様子もなければ、気持ちに蓋をしている気配もない。

それから数日経っても、彼はぼくの胸を見たいと言い出さなかった。ぼくがべっとりと甘えかかると、気まぐれに手のひらをぺとぺとと固定された胸に当てて確かめたりはする。でも、いざ「見せようか」と申し出ると「固定してるからいいよ」と断られてしまう。

関心がない、わけではないらしい。術後最低1ヶ月、できれば3ヶ月はナベシャツやバンドで固定しなきゃならないことも、その固定を頻繁に解くのはあまり良くないことも、知っているからこそ遠慮している。のだと思う。いや、そう思いたい。その理由が「見たくないから」だったとしたら……なんて、想像するだけで怖すぎる。

3週間くらい経ったころだろうか、ついにぼくは暴挙に出た。週末の昼下がり、ソファでくつろぐ彼の膝を跨いで向かい合わせに座る。「まあまあまあ、とりあえず1回は見とこうよ」と言い、ぼくは部屋着のTシャツとナベシャツをぽいぽいとその場に脱ぎ捨てた。「え~、べつにいいよ」と言う彼を無視して。

「どう?」とぼくは上半身を突き出す。内心、心臓をばくばくさせながら。この身体を美しいと、可愛いと、彼が評価してくれないのであれば、きっとぼくは立ち直れない。
しかし彼が興味を示したのはぺたんこになった胸そのものではなく、横一文字のふたつの傷跡だった。保護テープの上からおっかなびっくり、そうっとそうっとそこに触れる。「ここって今も痛む?」
「いや、べつにもう痛くはないけど。ていうかそこはまだ感覚がないかな」
「そっか、それならよかった。風邪引くから、早く服を着な」
終了。

それ以上なにも言えなくて、ぼくはまたもそもそとナベシャツを装着した。Tシャツを頭からかぶりながら、まなじりに涙がにじんでいく。だめだったのかもしれない。やっぱりこの身体は、彼には受け入れ難いものだったのかも。

その危険性は承知していたし、その上で自分の体を取り戻すと決めた。それでもあのふたつのできものを取ると決めたのは、ぼく自身だ。でもやっぱり、彼に好かれたい。ぼくの新しい、そして本来の身体を、愛しいと思ってほしい。

夕食を作ると言って、彼はキッチンへ立った。ぼくも立ち上がって、後にくっついていく。
「ねえ、どう思ったの?」
「え、どうって特になにも」
「なにもって、どういう意味?」
すると彼は、困惑したみたいに目を泳がせてこう言った。「どういう意味っていうか、べつになんとも思わない。君の体であることに変わりはないんだし」

やっと、気づいた。彼はもう、ぼくの身体を受け入れるとか受け入れないとか、理解するとかしないとか、そんなところには立っていないのだ。ぼくの身体がどういうかたちであれ、ぼくであるということに変わりがないって、すでにきちんと「知って」いるのだ。

へにょへにょと脱力して、ぼくは彼から体を離した。冷蔵庫からどくだみ茶(ぼくの健康を案じた彼が麦茶ではなくどくだみ茶を生成している)を取り出し、コップに注いで一気に飲む。そして、映画『リリーのすべて』のゲルダを思い出す。

献身的なゲルダは、かつてのアイナーと今のリリーを、別人として扱った。彼女は夫であったアイナーを喪失し、リリーを新たなる“友人のように”愛そうと努め、そして終始葛藤していた。

夫はどうやら、ゲルダにはならなかったみたいだ。「女性のように見えた」かつてのぼくも、現在のぼくも、彼にとっては変わらずパートナーで、そして今も彼はぼくに恋をしている。

正直言うと、「胸オペ後の夫の反応」は術前からエッセイにしようと目論んでいた。ここまであっさりというかもはやなんのリアクションももらえないとは想定してなかったから、ぶっちゃけめちゃくちゃ書きにくかったし、そういう意味ではつまんねえなあとぶーたれてしまう。感動的なクィアと「理解ある彼くん」のラヴラヴハッピーな話で締められねえじゃねえかよお。

現実って案外、こんなふうに淡白だ。ぼくが「女性」であろうとそうじゃなかろうと、ぼくがぼくであることに変わりはなくて、ただの「ぼく」がこれから先も彼のとなりで生きていく。そうやってこれからもふたりの時間を、共に歩んでいくんだろう。きっとこれは、ふつうのひとりの人間とふつうのひとりの人間のラブストーリーの、ある一場面に過ぎないのだ。

……ラブストーリーって恥ずいね、めちゃくちゃ。

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