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祈り

あのころぼくは、だれよりも孤独で、なおかつその孤独をだれとも分かち合うことはできないという事実に絶望していた。

隠すべきことがなぜこんなにも自分にはたくさんあるのだろう。「女の子」ではないこと、「日本人」ではないこと、両親に暴力を振るわれていること。そのすべては恥ずべきことで、だから躍起になってひた隠しにしていた。

青春と呼ぶには、あまりに澱んだ時代だった。醜悪な女子校を退学したのちに編入した共学校は、はちゃめちゃに楽しかった。今でも付き合いのある、それこそ己のマイノリティ性をすべて曝け出した上で一緒に生きてくれる、かけがえのない友もできた。敬愛する恩師に出会い、恋もした。それでも、いつだってへらへらと外面を取り繕いながら、底なしの恐怖に震えていたのだ。

ぼくが絶対的な異分子だと知られたら、何もかもを失う。これまで通りクラスで自由に振る舞うことは、不可能になる。排斥と差別を、その年ですでに骨身に染みて知っていた。

もう二度と、あんな想いはしたくない。後ろ指を指されたくない。教室の中でげらげら笑う権利を剥奪されたくない。

「普通」になりたい。

当時のぼくの願いは、それのみだった。いつだったかどこかでそんな話をしたことがある。すると、その場にいたとある人に鼻で笑われた。

「普通になりたいなんて思ったことない。普通であることってそんなに大事?」

生まれたときから「普通」でいられたら、そりゃ「普通になりたい」なんて思い付きもしないでしょうね。

口をついて出そうになった言葉をむりやり飲み下して、愛想笑いでその場を済ませた。みんなspecialだもんね、そうだよね。そんなばかみたいに安っぽい台詞でなあなあに済ませて。

specialな属性を望んで手に入れることと、強制的に課せられることは、まったく違うのに。ぼくは少なくとも、望んでこう在るわけじゃない。ただこうしか在れないだけだ。

選べない生まれについても、そこに差別と排斥が存在しようと、それでもなお自分はspecialだと胸を張らねばならないのか。個性尊重、多様性。くっだらないお綺麗な言葉たち。

「女の子」になりたかったよ。「日本人」になりたかったよ。優しいお父さんとお母さんと弟が、ほしかったよ。specialな属性なんかいらない、ただ「普通」になりたい。みんなとおんなじ、「普通」の人間になりたい。

でもそれは、手に入らない。喉から手が出るほどに欲しても、どれだけ願っても、それは一生涯、ぼくのものにはならない。

切なく寂しいこの心を、おそらく今、抱えて震えるだれかがいる。教室の片隅に、職場の片隅に、怯えているひとがいる。

ぼくの外見は「日本人」に埋没している。子どものころ悪目立ちしていた肌の白さも、美白信仰文化のおかげで「ただの色白の人」と見做されるようになった。転校を機に染髪と脱色を重ねたおかげで、地毛が赤茶の巻き毛であることなどだれにも気がつかれない。

それでもこうしてひた隠しにしていたマイノリティ性をべろりと吐いて文章を書くことを選んだのは、specialだと誇っているからじゃない。怯えを「乗り越えた」わけでもない。肯定されたいからだ。それでもいいのだと、「普通」でなくても生きてていいのだと、だれかに言われたいからだ。

この社会はいまだ、特殊なバックグラウンドを誇らせてくれない。けっしてそれをぼくたちに赦さない。幾度歴史を繰り返しても、新たな差別や排斥は生み出される。執拗に、残酷に。かなしみは風化し、学びは忘れ去られる。もちろん、すべてではないだろうが。

今は結局、願うしかできない。もどかしい、ただ無力だ。当事者であるのに、おろおろと泣くしかできない。でも、いまだ怖くて震えているけど、言う。

現在新たに産み出されている排斥の思想に、どうかあなたが呑まれませんように。どんな言葉をぶつけられたとて、あなたの価値はけっして下がらない。あなたはあなたのままでいていいし、ルーツを誇っていい。もちろん、誇れなくてもいい。誇ることは難しい。今のぼくも含めて。

ただ、恥じないでいてほしい。「普通」になれないあなたは、ぼくは、生きていていいのだ。

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