見出し画像

いつになったらぼくは、いつでもどこでも「ぼく」のままでいられるのか

貯金がそれなりに貯まってきたので、そろそろいいかなと昨年から株やら債券やらに手を出し始めた。積立NISAだけじゃどうも心許ない。NYダウやらなんやらにまとまった額を突っ込んで、ときおり通帳アプリを開き、投信の口座の額が増えていくのをニヤニヤしながら眺めるのが今のささやかな楽しみである。

とはいえこういうものに対して、ぼくは疎いほうだ。数字が苦手だし、なにより簡単な足し算引き算すら暗算は怪しい。会計でもたつき友だちに毎回ため息をつかれているがしかしPayPayの出現によりだいぶそれも楽になった。そのため運用にあたり、銀行員の方に相談をしていた。証券口座を作るにあたり電話口で家族構成を訊かれたので、既婚で男性のパートナーがいると答えた。

こういう公の場で、ぼくは夫のことをあまり「夫」とは呼ばない。文章では彼のジェンダー・アイデンティティを尊重する意味も込めて「夫」と呼ぶが、友だちの前では基本付き合っているときから名前呼びだ。

でも特に銀行やなんかの金の絡む場面では、彼を「夫」と呼ぶのは避けている。「ご主人の意向は?」と訊かれるのが嫌だから。

だってこの貯金は、ぼくの力で作ったものだ。けっして多い額ではないがしかし、学生時代からアルバイトやライター業でせっせと貯め込んだ血と涙と汗の結晶である。コロナ禍で機会を逃しまくっているロンドン留学の費用も、とりあえずNYダウに回した。普段の通帳に突っ込んだままだと、使っちまいそうだし。

だからあえての「パートナー」呼びを選んでいるというのに、その銀行員はおそるおそる、というかむしろ好奇心と野次馬根性を滲ませた声で「ちなみにパートナーとは……?」と食い下がってきた。仕方なしに「配偶者で、夫です」と答えると、「ああよかった」とそのひとは言った。「なんか、突っ込んじゃいけない関係なのかと思いました〜〜」と、笑いながら。

ここまで読んで、あなたはどんな人物像を思い浮かべるだろうか。年配の、50は過ぎた男性だろうか? いわゆる「特権持ち」の典型的マジョリティ男性。家父長制を疑うことさえこれまでの人生で一度もして来なかった、そういう思考停止状態に陥っている、傲慢なひと。

それだったら、まだよかった。その銀行員はぼくよりもずっと若い、20代の男性だったのだ。

「突っ込んじゃいけない関係」って、なんなんだろう。「パートナー」という言葉から、彼はよもや「同性愛者」および「同性カップル」を想像したのではあるまいか。

そんな憶測が彼との面談のたび、黒い靄となって胸の底に沈んだ。言ってしまいたい、あの発言ってどういう意味ですかって。いっそこのペンネームをバラしてしまえばいいのではないか。職業を訊かれた際に「フリーランスの執筆業」と答えたら、執拗なほどに「お名前教えてくださいよ〜笑」と食い下がってきていたし。

つい先日、不動産購入時にも似たような対応をされた。

担当スタッフは全員、夫を「ご主人」ないし「〇〇さま」と名前(苗字)で呼んでいた。そしてぼくを「奥様」と呼んだ。ミスジェンダリングとミソジニーで削られていく心を隠し、必死で愛想笑いを浮かべるぼくに、あのひとたちはいつか気づいてくれるのだろうか。

せめて若い世代には、「茶化していい存在」だと思われたくなかったよ。clubhouseが流行っていたときもそうだ、突然乱入してきた学生起業家を名乗る男性が「別に俺は偏見とかなくて、ホモとかレズとかはわかるんすけど、なんかあらい(新井のイントネーションで)とか全然わかんなくって。ぶっちゃけLGBTQのカテゴリって多過ぎません? あんないらなくないっすか?」とツッコミどころ多すぎる発言をぶっ放して精神が死んだ。

いつになったら、ぼくはただの「ぼく」として、公的な場で存在できるのだろう。いつになったらぼくは夫の従属物でなく、対等なパートナーとして見てもらえるのだろう。2023年も1/3が過ぎようとしている。ぼくは書き続けるしかない。ペンは剣より強い。それを信じて、それを心の寄る方として。


読んでくださってありがとうございます。サポートは今後の発信のための勉強と、乳房縮小手術(胸オペ)費用の返済に使わせていただきます。