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腐っていく愛、それを養分にして成した実を

「ぜんぜん連絡くれへんから、ずっと心配してたんやで」と泣いてる絵文字をつけたメッセージを寄越す母に対し、しかしながらぼくの気持ちは冷房できんきんの自室よりも冷え切っていた。

なんでこの人は、今もなお、ぼくの母親だと思い込んでいるんだろう。性別違和を緩和させる手術を受けに渡航した子の身を案じ、胃が痛くなるほどやきもきし、傷跡が残る未来を想像して泣いたりできるんだろう。そしてなぜ、ぼくから出発や手術の成功や帰国等々の連絡を受けて然るべしだと信じきっているんだろう。

ぼくの後頭部には、凹みがある。母親がその昔、薬瓶で頭を思いっきり殴りつけたからだ。あるいは押し倒されて強打したときにできたものかもしれない。そのときはたしか気を失った。

どっちのときも、母はあとから泣いた。ここまでの仕打ちをしておいて、「こんなことになるとは思わへんかってん」と、まるで自分こそが被害者みたいに、泣きながらぼくの頭に氷のうを当てていた。

胸オペの傷跡は、自分で選択したものだ。でも、後頭部の凹みは、自分で選択したものじゃない。理不尽な暴行を受けた、今もじゅくじゅくと膿んでる生の傷だ。

そしてこの人が忘れているのは、自身の暴行だけじゃない。ぼくの性別違和をいちばん強烈に煽ったのもまた、この人だった。

小学校1年生のとき、まだ第2次性徴も訪れていないぼくに、母はキャミソールを強要した。胸部が二重になっている、ファーストブラを着ける前の段階のもの。

初潮が来るずっと前から、胸部や乳頭がふくらみ始める子もいる。それはぼくも知っている。小1でそのような身体へと成長していく子もいるし、もしぼくがそのような体つきであったならば、母のその“配慮”も素直に受け取っていただろう。そのときは難しくとも、成人したあとで(たとえ性別違和があろうとも)「早くから身体の変化に気づいてくれて助かったなあ」くらいには思えていたはずだ。

でも、ぼくの身体はまだ、ただの子どもだった。幼児を抜け切れていない、成長のかけらも見せていない胸部へ過剰に注目される、あの気恥ずかしさと屈辱と怒りと哀しみ。

あとから聞いた話だけど、最悪なことに母はぼくの「胸」について、男児の同級生の母親に相談していたらしい。その男児には姉がいたから、女児の胸の成長についてどう対応していったのか助言を受けたのだと、悪びれもせずに母は言った。あのデリカシーの欠如した醜悪さ。幸いにも男児本人にはその話は伝わっていなかったようだけど、もし聞かれていたどうなっていたか、どうしてあの人は想像できないんだろう。

この人の繊細さの欠損が、たまらなく嫌いだ。この人の想像力のなさが、たまらなく嫌いだ。この人の都合の悪いことはすべて忘れてしまう脳みそが、たまらなく嫌いだ。それでも今もなお、ぺたんこの胸を持つ自分を「かわいいなあ」と褒めてもらいたいと思ってしまう自分が、いちばん、死ぬほどに嫌いだ。

さっき長らくナベシャツ代わりに愛用していたUNIQLOのXSサイズのブラトップを着てみたところ、ぶかぶかになってしまっていた。「ない」とも「ある」とも言い難いこのふくらみへの適切な下着がわからないとTwitterで嘆いたら、「キッズのファーストブラシリーズはどうですか?」とアドバイスを頂いた。

その発想はなかった、と思いすぐさま検索をかけたところ、デザインの多様性に面食らってしまった。ぼくがあてがわれていたのは、ばかみたいにダサいピンクのリボンが胸元についたキャミソールだった。でも、Amazonの検索結果に映し出されていたのは、「それだけ」じゃなかった。

ポップな刺繍が施されたもの、スポーティなロゴが入ったもの、カラーバリエーションに富んだもの。そしてシンプルな、一見すると男児の肌着のような──そして大人が着用しても不自然でないデザインの、タンクトップ型のもの。

せめてこれを着たかった。ぎゅっとまぶたを閉じ、下唇を噛み締める。そしてどうにか、フラッシュバックの波を乗り越える。

どうして母は、ぼくに訊いてくれなかったのだろう。「どんなものがいい?」「どういうものが好き?」「どういうものが嫌い?」。変化していく身体に戸惑うのは、おそらくシスジェンダーの子も同じはずだ。その嫌悪にどうして母は、寄り添おうとはしてくれなかったのだろう。

なんでこんなものを着なきゃいけないの? と訊ねると、母は「女の子だから」としか言ってくれなかった。そんなもの、答えになってない。

あの人はいつだって、自分の不安をぼくに押し付けていた。あの人がやっていたのは子育てではなく、「正しい女の子の創造」だったのだ。もちろんそれは、失敗に終わった。ぼくは「正しい女の子」にはならず、母の不安要素を一切拭わず、母の手元を離れた。

ワークチェアから降りて自室を出ると、夫とデスクの間に体をねじ込んで、膝の上によじのぼる。夫はまだ解禁されぬぼくの身体が気になるらしく、仕事の手慰みにぺたぺたと胸に手を当ててきた。しかしバンドでがっちりと固定されているそれは感触も不明瞭で、彼はふしぎそうに首を傾げている。

その手のひらは大きくあたたかく、そして優しい。今回発見された腫瘍のある脇の下あたりを、そうっとそうっとつまんで確かめるその手つきも、労わりに満ちている。

「UNIQLOのブラトップ、さっき着てみたんだけどぶかぶかになっちゃってた。バンド外れたあとの下着に困ってたら、キッズのやつが使えるかもって教えてもらったんだよね」

目星をつけたタンクトップのいくつかを画面に表示させ、彼に見せる。

「これだったら子どもっぽくないし、着やすいんじゃない?」「真っ白は意外と透けるらしいから、グレーとかのほうがいいみたいだよ」「気になるやつ1枚ずつ試してみて、バンドが外れるころにはいいのが見つかるといいね」その言葉たちは、ぼくの新たな、そして自ら望んだ「変化」に寄り添うものたちだった。

選び抜いた2種類をカートに放り込み、家計用のクレジットカードで決済を済ませる。家計を共有し、互いを尊重し合い、慈しみあうぼくの家族は、彼だ。母はすでに、家族ではない。

愛されたかった。気にかけてほしかった。守られたかった。でももう、いいや。その気持ちは過去のものとして、少しずつ腐って土に還っていく。それを養分として吸い上げ、成した実を、彼に差し出そう。できる限り惜しみなく、彼に与えられたらいい。彼がそうしてくれるように。

BadCats Weeklyさんに、映画『ヴィオレッタ』と自分と母との関係を絡めたエッセイを寄稿しました。胸オペでタイへ渡航する飛行機の中で、一気に書き上げたものです。もしよければ、お時間あるときにぜひ。


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