もう二度と誰にも、この身を支配などさせない

高校3年生のとき早稲田大学の受験に落ちた日に家出をしたことが、予想外にも親父への牽制になったらしい。その日からぱったりと、あれほど執拗だった身体的暴力は止んだ。厳密にいうと浪人時代に一度ボコボコにされたことはあったんだけど、本当にその一度くらい。

浪人のときの志望校は某地方旧帝大だったのだが、そのころにはおそらくとっくにうつ病を発症していたこともあり、センター試験で大コケした挙句滑り止めまで綺麗に滑り落ち、適当に願書を出したそこそこ有名な関西の私大に通うことになった。そこを2年生で退学し、3年次編入で関東の国立大に入って実家に戻る決心がついたのも、親父の暴力が終了したことを知っていたからだ。そうじゃなければ、死んでも帰ったりなどしなかった。まあ、わりにモテた方だったし、セフレでも恋人でもなんでもさくっと作ってそのひとの家に入り浸ればことは済むかな、という目論見もあったからだけど。

そう、虐待は終わったと思っていた。成人してからは、もう。罵声は相変わらず浴びせられていたが、手が出ることはなかったから。「女の子らしくならなければならない」という強迫観念と正式に診断が下ったうつ病による希死念慮でもがき苦しんだ20代前半。そこから抜け出しつつあった25〜26歳ごろ、本来の姿──古着のデニムとスウェットを好む今のような格好に戻り始め、転院してカウンセリングの受診を開始し、今の夫との結婚が決まった。父の戸籍を抜けたから、すなわち父の支配下からは逃れたのだと、あの日まで本気で思っていた。思い込んでいた。そう思いたかった。だから余計に、じわじわと悔しさがこの身体を蝕んでいく。

なあなあで済ませたかった。あの親父の社会的地位なんかを考えると、現在もう一緒に住んでいないことや暴力を振るわれないことを鑑みて、ただ縁を切るよりは利用してやったほうが得なのだと。そう自分自身を宥めて、宥めすかして、そうやって関係を維持していた。今はもう、自分こそがすべてを掌握しているのだと信じたかった。何も理解していないのはあの親父で、死後の遺産を“慰謝料”として受け取ったときにぼくの復讐は完遂されるのだと、そう己に言い聞かせて気持ちをなんとかやりくりしてきた。

母を通じてまだ“繋がっている”と思い込ませることも、3ヶ月に一度くらいのペースで夫を含めてブルジョワ感満載の気取った店に食事に行ってやることも、ぜんぶぜんぶぼくの手のひらの上の出来事で、なんの我慢も忖度もしていない。だけどはっきりとあの日、知ってしまった。あの親父の所有物ではなくなったと思って生きてきた20代後半も、結局はまだ支配されたままだったのだと、改めて思い知らされた。

父の機嫌が悪いとか、怒っているとか、実家で怒鳴って暴れているだとか、そんな情報が母や親戚経由で入るたび、本当は狼狽えていた。やばい、どうしよう、なんとかしなきゃ。なんとか機嫌を取って、怒りを治めなくては。

今回の戸籍の名義変更だってそうだ。怒りを買うのが怖かった。認めるのが恥ずかしくて悔しくて情けないけど、心の底ではまだあの親父に怯えていた。後から知られて、バレて、呼び出されて、殴られたら。裏から手を回されて、家裁の申請が降りないようにでもされたら。そうしたらどうしよう。無意識にそんなことを考えてしまったからこそ、生涯しないと固く心に誓っていたカムアウトさえあっさりとしてしまった。

ぼくはつまるところ、この5年も虐待サバイバーの後遺症そのまんまの行動を取り続けていたのだ。親父の機嫌を窺い、それが芳しくなかったらどうにかしなければとパニックに陥って。自分で決めたはずの新しい名前も、父の不興を買わぬようこじつけの言い訳までベタベタに貼りつけて。最悪だ。せっかくの名前に、ケチがついた気分だ。

「言わなくてよかったですよ」と妖精カウンセラーは言った。「どうせそういうこと、理解できっこないし。それに身内に対して裏から手を回して危害を加えたりなんてこと、世間体が大好きなお父さんがするとはまず考えられません」妖精の指摘がもっともすぎて、「いやそりゃあそうっすよね、そんなことくらいちょっと考えればわかるのに」と力なく笑うしかなかった。あんな甘っちょろい家出でもびびっていたあの親父が、それほどまでに世間体に固執するあの男が、崩壊した家庭の恥を外部に触れて回るなどできるわけがない。あいつの支配下から抜け切れてなどいなかった。ぼくは虐待を受けていたあのころと変わらず、思考停止状態のままだったのだ。その事実を突きつけられて、オンラインカウンセリングが終了したあと、しばらくMacBookの前で呆然としていた。

被虐待児に対して「なぜ家から逃げ出さなかったんだ」と疑問を呈する人は少なくない。逃げ出さなかったんじゃない、逃げ出せなかったのだ。家出くらいできたはずだろうと言う人もいるけれど、自身の生殺与奪の権を握っている保護者によって暴力と怒声の鎖でがんじがらめにされた心は、脳は、正常に機能などしない。逃げ出せるはずの状況で、逃げ出せないと思い込んでしまう。現にぼくは家のどこに今まで取り上げられてきた自分のお年玉が隠されているかも、母の箪笥貯金のありかさえ知っていたのに、それを盗んで飛び出すことすらできなかった。あの家出だって行き先は祖母の家だし、かなり情けない結末で終了している。そんな生ぬるいおままごとみたいな逃げ方が、ぼくの精一杯だったのだ。

戸籍名変更を希望するのはもちろん名前と性自認に剥離があるからだけれど、本音を言えばあの親父の手垢にまみれたものを一切合切この身からひっぺがしてやりたいからでもある。あの男の所有物である証など、なにひとつ持っていたくない。「女」であることの証左と同じくらい、自分自身から切り離したいほどに忌々しい。

「親からもらった体に傷をつけるなんて」というよく聞く馬鹿みたいな幻想にくるまれた美しい台詞があるけれど、タトゥーを入れたのだってそうだ。ぼくは「ぼく」を、ぼくのものにしたい。完璧な形で手に入れたい。その証拠が欲しくて欲しくて、だから「親からもらった体に傷をつけ」たのだ。だから”親からの最初のプレゼント”である名前さえ、変えてやるのだ。

今も叫び出したい衝動を、必死で抑えている。あの親父のメールアドレスのブロックを一瞬だけ解除して、何もかも洗いざらいぜんぶ、ぶち撒けてやりたい。名義変更の「お願い」の手紙は嘘八百であんたに阿っただけだと、そう書いて送ってまたブロックしてやりたい。それができないから、こうしてぼくは鼻水と涙でぐちゃぐちゃのこの文章を、ここに叩きつける。そうすることしか、今のぼくにはできない。でも、それでも、もうあの親父の支配下には二度と戻らないと、改めてここに誓わせてほしい。

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