見出し画像

ぼくの「エラ」はもしかすると、わりに美しいのかもしれない

「あいつの顔って、ホームベースに似てるよな」という陰口を叩いていたのは、野球部のくせにぶよぶよと醜く太った男子だった。そしてそれをわざわざご丁寧に教えてきたのは、”少なくともあんたよりは私の方が美人”と会話の端々に滲ませる細い目がコンプレックスな女子だった。

うるせえよ、デブのくせに。いちいち伝書鳩してんじゃねえ、糸みたいな目をしてるくせに。

些細な棘といえばそれまでだけど、その棘はいつまでもぼくの胸に刺さって抜けなかった。エラの張った輪郭が、幼い頃からコンプレックスだったから。

つい昨日、その糸みたいな目の伝書鳩から、Instagram(プライベートの鍵アカウント)に友達申請が来た。ちょっと迷ったけどそちらのアカウントはほぼ稼働していないし、伝書鳩の現在の姿にも純粋に興味があったので、いやらしい気持ち120%で申請を許可した。

太っていることも細い目も、けっして醜くない。たぶんぼくはもともとは、そういう感性を持っていた。あのとき心ではとっさにああいう毒を吐いたけど、ぼくは太った人にも細い目を持つ人にも美しいと感じることはままあるし、なんなら恋をしたことさえある。真に醜いのは、彼と彼女個人だったのだ。

自分のエラに対するコンプレックスは、物心つく頃にはすでに植え付けられていた。父はぼくの顔を、ことあるごとに「いじる」人だった。おまえはエラが張っていて不細工だ、と。あの父の呪いは、おぞましいことに容姿さえ侵蝕していた。

エラが張っていることは、「韓国人」っぽいのではないか。どういう経緯だったか、そんなふうにも思い込むようになっていた。入り組んだルーツをぼく自身が憎んでいたのは、「エラ」のせいもあったのかもしれない。

それが徐々に薄まっていったのは、20歳を過ぎたころだった。思春期を通り抜けたぼくの体からは、みるみるうちに肉が削がれていった。特にこれといって特別な食事制限も、運動もしていない。思い返すとあのころは「虐待」という甚大で苛烈なストレスも抱えていたから、肉がつきやすかったのは第二次性徴のせいだけじゃなかったのかもしれないけれど。

大学3年生のころには、初潮が来る前のようなほっそりとした体型に自然と戻った。論文やらレポートやらに追われまくって飯をろくろく食う暇がなかったという不健康な側面もあるけれど、どうも本来は(骨が細いこともあいまって)体重が増えにくい体質であるようだ。

そしてどうやらぼくの骨格というフレームには──ぼく個人の主観からみるに──、痩せている方が似合うらしい。卒論&修論で激痩せして35キロまで落ちてしまったときはさすがに不健康すぎて気味が悪かったし、慌ててデブエット(死ぬのかもしれないと本気で思い悩み、夜中にラーメンやおにぎりを食しまくっていた)を敢行したけれど、それ以降はあくまで健康の範囲内での”痩せ型”を維持できている。

頬と瞼の肉がすっきりとしたぼくの顔は、意外にものっぺりとはしていなかった。10代らしくほっぺたをパンパンにしていたころは平面に見えていたけれど、そこそこ鼻も高い。そして逆さまつ毛矯正手術によって軟骨と筋肉の剥離を治した影響でぱっちりとした末広二重になった(というか戻った。幼いときの写真では二重だったのに、成長するにつれ奥二重になっていったのでおかしいと思っていたのだ)んだけど、それもぼくの顔にはハマった。

パンパンのお肉が削げたエラは、あいかわらず張ったままだった。でもなんだか、悪くない気がした。骨っぽさのある顎のラインは、どうしてか好ましくさえ思えたのだ。

それに確信を持てたのは、今年に入ってからのこと。ひょんなきっかけでcoucaくん(以下こうくん)主催の「性のゆらぎ展」というプロジェクトに被写体として参加させていただくことになったのだけど、現像された写真を見たとき、ぼくの心ははっきりと高揚した。

トランスジェンダー・フラッグみたいな色合いの階段。
ぼくのエラ、わりに美しいのでは?

極めてナチュラルに、そして心の奥底から、そんな感想が湧き上がった。湧き上がった瞬間「なんだよそれナルシストみたいじゃん」と1人で赤面したのだけど。

公園の遊具の上で。

赤面して、目を逸らして、それでももう一度、今度は別の写真を見つめてみる。仰いて余計にくっきりと輪郭の骨が浮き出た、この一枚。

うん、やっぱり、悪くない。むしろごつごつとしたエラに、男性性を感じられて、好きかもしれない。

そういえば自分のパーツで、他にも「男性性」を感じられるところがある。ぼくの指はほっそりとしているのに、関節は太めで節くれ立っている。おまけに薬指は人差し指よりも長く、これは「男性」に多い特徴であるらしい(一般的に「女性」の指は人差し指の方が長い傾向にあるとどこかで読んだ記憶がある)。それを知ったとき、途端に自分の手や指に愛おしさを覚えた。

ぼくの中の、わずかなテストステロン。低い身長のせいでまず間違いなく「女性」だと思われてしまいがちなぼくの、大切な大切な男性性。ぼくの「エラ」も、そのうちのひとつだったのだ。

性は、ゆらぐ。不確実で、掴みどころがなくて、ときに自分自身さえも惑うし、溺れる。はじめから定まっているものだと思い込んでいる人のほうが、残念ながらまだまだこの国ではマジョリティだ。それでもぼくたちは、ゆらぎの中で己の性に折り合いをつけようと日々もがいている。ズレや不均衡に苦しむこともあるけど、愛おしんだり、誇ったり、ふよふよと楽しんでいる。

いちばんお気に入りの写真はこれかも。

すべては無理でも、ときどきは愛でていたい。こうくんに撮ってもらった写真を見ていると、そんなふうに思えるからふしぎだ。ボトックス注射をエラに打とうか本気で悩んだ時期もあったけど、もうその選択肢は今のところ、ぼくの中から消えちゃってる。

─────

性のゆらぎ展主催者であるカメラマン・こうくんことcoucaくんのインスタはこちら。ぼくの他にもすてきな被写体さんを収めたすてきな写真がたくさんあるので、ぜひフォローしてみてほしい。



この記事が参加している募集

最近の学び

読んでくださってありがとうございます。サポートは今後の発信のための勉強と、乳房縮小手術(胸オペ)費用の返済に使わせていただきます。