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草木と言葉

草木瓜

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土手に咲いた花の写真を撮っているとき、通りかかった人に、それはなんの花なんですか、と声をかけられた。
「あ…草木瓜(くさぼけ)だと…思うんですけど…。…わからないです…」
「あぁ……」
「……」
「……」
会話がもっとじょうずだったら、と思って何年たったんだろう。


躑躅

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めいわくだろうな、と思っていろんなことを控えている。
そういう癖の行きつく先は、酸素を吸ったらわるいだろうなと思って息をしないでいる、まで行くので、気をつけないといけないのだけれど、光合成をする木々や草花のちかくにいるとき、すこしだけでも呼吸していいような気がして、それで植物のそばにいることが多いのかもしれない。
ほんとうは息をしたい。のみこんだことばたちに、ときどき呼吸をさせてやりたい。だれもいないところで、草花にだけ話している。よしなしごと。

サーモンピンクの色のつつじ。はじめて見た。空にのばした腕の先。きれいな手をしてるのね。
躑躅(つつじ)。ためらう、という意味もある言葉。


香椿

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田んぼのひろがる平原に、いっぽんだけ木が生えていて、そこに鳥が巣を作っていた。4月になったら桃色の葉が萌えだした。コーラルピンク。珊瑚のような色。
海のなかにいるみたい。
珊瑚のような桃色がやわらかくまわりを取り囲むなかで、ヒナたちは眠っている。仲間の鳥たちからとおく隔たった場所。いっぽんだけ生えたその珊瑚のなか。長いまどろみから醒めてこの世に目をひらくとき、そこにひろがるのは海のような世界。珊瑚のあいまを行きつ戻りつするスズメダイみたいに、生まれはじめのときを生きるのかな。
香椿(チャンチン)、という木。別名、唐変木(とうへんぼく)。ふたつめの名前で台無し。


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けやきの木はとくべつな存在。生まれ育った場所に生えていたから。
物心ついたときにはその音色がそばにあった。何百年も生きた樹のおおきくひろげた枝の蔭で眠って育って毎日そのさらさらゆれる葉擦れの音を聞いていた。夢にもうつつにも寝ても覚めても沁みわたる音。さざ波みたいな。
風がつよく吹くとけやきはゆれて、さらさらさらさら波立って、やわらかくてしずかな波音をたてる。ざわざわざわざわさわぐ夏の音も、はらはらはらはら落ちてくる秋の音も。ちいさく波打つ響きは私の深い部分をゆらす。
ときどき帰りたいな、と思う。ふるさとにではなくて、その音色のなかに。
その音色が私のゆりかごだった。


✴︎


「祈るように書くしかないと思うんです」という、昔自分がこぼしたことばを最近よく思い出している。

海をつくりたい、と思う。

けやきの木がつくる波音や、珊瑚の木のなかの巣のように。ゆりかごのような場所を、やわらかい海のような場所を、ことばでつくってゆくことはできるのだろうか。


なんのために書いているのかよくわからないで書いている部分がある。
だれかのかなしさや苦しさに直截的に注射するような、そういうことばのありかたをしたいわけではないし、自分のなかにあるものをそのまま外にだすというのとも、なにかちがう。
でも祈るように書くしかないと思っている。
比喩のようなかたちで、夢みたいにあいまいに、ふわふわやわらかい海のようなものを、淡々とつくってゆく。直接なにかを志向するわけではなく、ただ海をつくる。

けやきの木が、風にゆられることでひろがっていた音色の世界のようなもの。ただそこにあるだけのもの。
なにかを治すとか、そういうためのものではなく、ゆりかごのようなやわらかいものを、こつこつつくってゆく。

じょうずにつくることができたら、なにか変わるかもしれない。
私ではなくて、つくられた海が、なにかを変えてくれるかもしれない。


そこで息をしたり、まどろんだり、眠ったり、泳いだり、洗い流したり、ただただ浸ったりできるかもしれない。魚とか、人とか、木々とか、いろんな命とかが。
私が憩うためのものではなくて、だれかにとっての海になれたら。
自分が生きるための羽をぜんぶもぎとって織り込んででも、海をつくれたらいいなと思う。


海はずっといるところではないし、いつかきっと忘れる。そこを離れて歩いてゆくのだし、そこですごす時間はとても短い。ゆりかごみたいに、一瞬そこにいて、やがていつかはそこから遠ざかる。
でも人生のほんのいっときだとしても、そこでまどろんだ時間は、それを離れて忘れてすごす長い日々をちいさく支えるかもしれない。思い出すこともなくても。


だからせめて、そのいっときだけでも、ゆっくり眠ったり、体をゆるめたり、息をしたり、ぼうっとしたりできるように、やわらかくつつめる海をつくりたい。
こつこつこつこつことばを織る。忘れてもらうための場所をつくる。

さわさわさわさわ波音がして、夢のなかまで沁みてゆくような。


いつかそうなれたら、ということではなくて、いまこの場において、淡々とおこなってゆく。祈るように書くしかないと思っている。だれかにとっての海になるように。


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