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ことりのこと
窓辺に大きなシマトネリコの木がある。
夏はたくさんの葉をつけて、ガラス窓いっぱいをおおうくらい茂っていた。
朝、目を覚ますと窓をあける。
葉波のなかに小鳥がいる。黄緑色のちいさなメジロ。ちょん、と枝のなかをわたる姿がかわいくて、よく見ていた。
この夏は葉がよく茂って花もたくさんついて、そのぶんメジロもたくさん来た。
泣いて目が覚めた朝に、葉波のなかにメジロを見つけるとうれしかった。ちいさくさえずる声も、枝を飛びうつるようすも、そばにいてくれることも。
たくさん泣いたことも忘れてメジロを見る。
おはよう、と思う。ときどき数をかぞえる。何羽もいる小鳥たちが遊ぶように集うのを、窓辺でよく眺めていた。
秋口になってシマトネリコの木は剪定されて、葉が少なくなった。すっかり葉の減った窓辺からは秋のやわらかい光がふんだんに入ってくる。とても明るくて、部屋じゅうをあたたかく照らしてくれる。
こんなにきれいだったんだ、と思った。
メジロの姿を見かけることはなくなった。夏場はずっと泣いていた私も、秋の深まりとともに泣くことが減った。ほほえんですごす時間が、多くなった。
朝早く起きて、窓をあけるとき、おはよう、と思う。
うしなわれた葉蔭と、もうここにいない小鳥のことを思う。いなくなったもののかわりにここにある光を、手のひらですくうように浴びる。
そばにいられた時間、とてもうれしかった。その存在がとても愛おしかった。私の窓辺にもう小鳥はいなくて、でもたしかな光がある。いっしょにすごした時間のやさしい記憶と、ここにふりそそぐ光。
どこかでいまも、遊ぶように枝をわたり、さえずっているといいなと思う。泣いているだれかの窓辺で。
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