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ゆれる

noteをはじめて、半年がたちました。

書くことをはじめてみよう、と思いたって、最初に決めたのは「とりあえず半年、コンスタントに書いてゆくこと」。

私はいままで、心身の不調で倒れたり具合を悪くしたりして仕事に穴を開けてしまうことがたびたびありました。社会で暮らしていくなかで、自分の資質の足りなさがずっと情けなくて、継続性というものへの憧れがずっとあります。いまもあります。
つづけて努力できること。それが、いちばん身につけたいものでした。

具合の悪い日は多いけれども週に1回なら、書いて投稿することができるかもしれない、と「週1回以上更新、半年継続」を目標にしてやってきて、半年。
結局からだを壊して1週ぶん穴があいちゃうあたりが私だなぁ、と思うのですが、でもそれ以外については、こつこつ毎週書いて半年を迎えられて、ほんとうによかったな、と思っています。


✴︎


半年たったとき、自分の立っている場所がどうなっているか、楽しみでした。

漠然と考えていたのは、毎週書評とエッセイをひとつずつ書いていって、読むこと、書くこと、両輪をまわしながら質をあげていけたらいいな、みたいなこと。
実際やりはじめて思いのほか書評を書かなくなって(本の紹介はちょっとはしたものの、ここしばらくはぜんぜんしてません…)、エッセイだけを金曜日あたりにぽつんと投稿して、それ以外はほぼ、他のかたの書くものを読んでいます。
でもわりとそのくらいが、私にとっては心地好いです。

こつこつ書いてゆくために、自分のために始めて、でもいつかだれかが読んでくれるかもしれないからと、ほんとうにすべての記事、時間と熱意をかけていっしょうけんめい書き、冷まし、見直し、直し、読み、直し、表に出してよし、と門番が判断したものだけ、投稿してきました。(門番ってだれよ…て感じですが、いるんです。手厳しい人が、私のなかに。いったいいくつの記事が葬られてきたことか。)


noteはたしかにsnsなのですが、私は書くプラットフォームとしてたまたま選んだだけで、たとえスキがつかずとも、コメントなどもらえなくても(でもビューがせめてちょっとでもあればいいな、とは思っていた)、ただ自分が書くためにやっていこうと思っていました。

読んでくださるかたがほとんどいない最初のころ、ものすごい数のフォロワーさんのいる猛者のような人たちが、このテンション低めの長文noteにたびたび来てくれたり、コメントをしてくれたり、紹介してくれたり、そうして支えてもらったことで、すこしずつたくさんの人に読んでいただけるようになりました。

してもらったことを私自身も返していきたいという気持ちもあって、たくさんの人のnoteを、わりと真剣にこつこつ読んでいます。自分が書くことも大事にしてはいますが、私は読むことも好きだし、そうしてだれかの書く(描く、撮る、歌う、喋る等)を支えることができたらいいなとも思っています。



素敵な記事を単発で読むこともおもしろい。
でも継続して読んでいるからこそ、その人の幅の広さやゆらぎ、うつろうかたち、そのときの様子、ちいさな変化やあるいは変わらないところ、奥にひろがる光のようなもの、見せないでいる深さ、そういうものが見えてきます。
その蓄積があると、そこにあるひとつの記事が深みをもってくる。そういうときに、読むことのしんしんとした力を感じます。

それに対してコメントなどでことばを投げかけて、いただいた返事を読むと、言葉や意味以外のいろんなものが伝わってきたりする。そうしてたくさんの人から多くの影響を受けました。
いろんな人たちの考えかた、生きざま、表現のしかた、思想、人とのかかわりかた、見せかた。そしてまたことばを交わすことで見えてくるもの。伝わるもの。会話しながら変わってゆくこと。
かかわりあいながらゆれて、うつろってゆくことが、たえず起きていた気がします。


3月末にからだを壊してnoteを休んでいたとき、もうこのまま離れようかな、と思っていました。
snsの賑わいから離れてしずかにぼうっとしていると、またそのなかに入ってゆくのがむずかしいような気がして。いったん岸辺に打ちあがってみると、もう泳ぎに戻りづらくなるというか。流れのはやさに立ちすくんでしまう。
書くことは、ずっとしてきたし、これからもしてゆくと思います。でも投稿しなくてもいいかも、くらいの気持ちにはなっていました。
ものすごく真剣にものを書いているわりには、表に出すことにそこまで執着がなかったことにも驚いたのですが、当初に設定した「週1回以上、半年間継続」という目標がこなせなくてもいいか、という程度には自分をしばるいろんなしがらみを手放せていて、わりとゆるっとした気持ちになっていました。

このままやめてもいいかな、と思っていたけれども結局戻ってきたのは、書きたいからというより、ことばを交わしたり、だれかを応援したり、ある記事のおもしろさをみんなでわいわいしたり、コメント欄でふざけたり、あるいは真剣に感想を伝えたり、伝えてもらったり、相手のことを深く思ったり、そうしてかかわりあってなにかが変わってゆくことから、離れがたかったというのが大きいです。
わりとストイックに書くことを考えていて、どちらかしか選べないなら交流なんて一切なくてもこつこつ書くということを選ぶし、これからもそうだと思うのですが、休んで立ちどまって見つめなおしたとき、投稿することより、人とかかわりあうことに未練があるんだなぁ、と気づいて、驚きました。
書くこと。かかわりあうこと。両方を大切にするからこそたどり着ける場所もある、といまは思っています。



かかわりあうことで私自身もゆらぎ、うつろい、はじめたときには想像もつかない場所に立っています。
かかわりがなかったら、先週書いたような記事は書けなかったと思っています。エッセイかどうかもわからないし、下手なはずの写真(というか写真をもとに加工をくり返したなぞの画像)を使っているし。こういうものを書くことになるとは思いませんでした。

でも、自分にとってまんなかのものが書けた、と感じています。
なんのために書いているのかずっとわからなかったけれど、半年ずっと、書いて、読んで、かかわりあって、そのしめくくりの記事として丁寧にことばを重ねて、見つけたのは「海がつくりたい」という気持ちでした。

書いた自分が、そうだったんだ、と思いました。



そして私のつくりたい海というのは、私のなかにできるのでもなくて、読んでくれる人のなか、あるいは、私とその人のあいだにできるものなのかもしれない、と感じています。
けっしてひとりでつくることはできない。
書くと読むのあいだに、生まれてくるもの。
私はそのために、こつこつことばを織ってゆきたい。
そういうことに、気づくことができました。


✴︎



かかわったすべてのかたに、ここまで連れてきてもらった気がしています。

私はいつも、ことばにしづらい曖昧な感覚ばかりを書いています。わかってもらえるかわからないけれど、でもいっしょうけんめい書きつらねてきました。
書いたものに対して、読んでもらったり、スキを押してもらったり、コメントをしてもらったり、あるいは呼応するような記事を書いてもらったり、かかわりあうなかで「伝わったんだ」と思えることが、何度もありました。
ほんとうの意味で伝わるということの困難さは断ち難くあるし、伝わったと思うこと自体が思いこみにすぎないという側面はあります。でも丁寧に丁寧に、祈るようにことばを重ねたものに対して、なげかけられるものがたしかにあって、そういうときに「伝わった」とたしかに感じて、それがほんとうに深く深く沁みわたりました。

ものを書くことはよく投壜にたとえられます。手紙をいれたガラス壜を、海に向かって投げるようなもの。だれがうけとってくれるかわからない。ひろい大海にむけて、それでも思いをしたためて投げること。
でもここでは、投げて1日か2日とかで、場合によっては投げたそばから、受けとったよ!と声があがったりする。だれかにたしかに伝わったという感覚が、自分にも、書くということにも、響きわたってくる。その深い温かみにずいぶん支えられてきました。
noteで書くことを選んで、ほんとうによかったと思っています。


目標としていた半年にたどりついたので、金曜の週1回更新、というルールは外そうかなと思っています。もうそこにこだわる必要もない気がします。
ある程度の熱量をかけて、というルールも外していいかなと思っています。ゆっるゆるの日記みたいなものを気が向いたときに書くというのも、ありかな、とか。

ただいっぽうで、規則的であることや、ルーティン、統一性、等間隔といったような秩序立ったものに対する体質的な偏愛があるので、また金曜あたりにかわらず投稿するかもしれません。おなじように時間と熱量をかけて、ひとつひとつの記事を書くことをつづけるかもしれない。

いまはまだゆれています。
どうなってもいいかなと思っています。それはようするに、どういうかたちをとるにしても自分を許せるということでもあるので、こうしてゆらいだまま見えるものを書いてゆくのもいいかなぁ、と感じています。
なんにせよ、やわらかく包みこむ、海のようなものが書ければ。
そしてどんなものを書いたとしても、それを必要とするだれかに、きちんと届けられるように祈るように書く、その気持ちはきっと消えないと思います。


あらためて、この半年、ほんとうにありがとうございました。
伝え尽くせない感謝の気持ちをおひとりおひとりに渡したいです。お会いできて、ほんとうによかったです。ありがとう。だいすきです。すごくすごく、だいすきです。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。



小川千紗


ー 今月のありがとうの気持ち ー

☆記事紹介ありがとうございました
敬子さん

☆マガジン追加ありがとうございました
ジュンイチさん森てくさん髙橋三保子さん

☆記事のおすすめありがとうございました
びしばし。さんくまさん

☆かかわってくださったすべてのかたへ。
ほんとうに、ありがとうございました。



おまけ

私がnoteをはじめたとき、ちょうど野口聡一さんが宇宙へ向かうときでした。宇宙空間に滞在する半年のミッション。はからずもおなじ期間の目標に、なぜか親近感を感じていました。
こつこつ記事を書きながら、ときどき野口さんのTwitterを見ていました。
そこから照らす地球の美しさ。宇宙から見たこの世界の美しさを、すこしだけシェアさせてください。
私もまた、私なりに地上から、ここにある美しさを照らしてゆきたいです。



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