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織る

はじめて機織りをしたのは、八丈島に行ったときだった。
黄八丈という、伝統的な布地を機で織る体験をさせてもらった。とん、からり、という淡々としたリズムのなかで織ってゆく。時間を忘れて、無心に織った。

そのとき織った布地は先方の手違いで紛失してしまったらしく手もとにないのだけれど、あの機を織るという体験は、深く自分のなかに残っている。


私の祖母はいつも縁側で縫物をしていた。雨の日など、畑に行けないときは一日じゅうお針仕事をしている。よく遊んでいた友だちの家には、足の悪くなったおばあちゃんがいて、いつも真綿から糸をつむいでいた。紡ぎ機のぎっ、ぎっ、という音をいまでも覚えている。母の実家は蚕を育てていた。やがて絹になる繭をはぐくむ暮らし。
生活は糸とともにある。機を織る、ということが身近にあったわけではないのだけれど、どこか深いところで惹かれるのは、そうあったかもしれないかつての暮らしが自分のなかに響いているからだと思う。


奄美大島に行ったときに、大島紬をつくる工房で機織りをさせてもらった。普段の仕事として機を織る主婦たちにまざり、機を織った。
経糸(たていと)はすべて黒。でも緯糸(よこいと)は、好きな色を選んでいいよ、と言われ、染色された糸を選び、無心に織ってゆく。とん、からり。とん、からり。与えられた経糸と、自分の選びとった緯糸をあわせて織ってゆく。淡々とくりかえす。大きくあいた縁側から、蘇鉄の葉をゆらすぬくんだ風が流れてきて、女の人たちの織る機の音が、ゆったりと響く。

八丈島で機織りを教えてくれた人は、私は東京からこっちに来たんです、私は、機さえ織れればいいんです、と言っていて、その言葉が忘れられない。
機を織るという行為は、底深いなにかにふれる感じがする。


ものを書くことは、機織りに似ている、と思うときがある。

与えられた糸にふれ、注意深く糸目を見て、たんたんと杼を動かし、とん、からり、とひとつひとつ繋げてゆく。そこにはただくりかえされる行為があるだけで、私は行為に介在するけれども、織り目を決めるのは糸で、それをただ真摯におこなってゆくだけ、という感じがする。底深いものにふれながら、慎み深く、敬虔に、糸の声を聴く。


日本を代表する染織家、志村ふくみさんが、農家の女性たちが貧しさのために短い糸をつないで糸玉にしていたものをつかって「母衣曼荼羅」という作品を織りあげたときのことについて、こう書いている。

予期せぬ糸の力、線の無尽、織りすすむうちに布が私を圧倒する。これは私の力ではない。何の工夫もなく、ただひたすら織る。作意など入る余地はない。
   図録『志村ふくみ 母衣への回帰』(京都国立近代美術館、2016年)

ものづくりに向かう真摯さ、生き様、ふるまい、とても尊敬する人で、自分がおなじようにあれるとはとても思えないのだけれど、でもときどき、大切なことを忘れそうになると志村さんのことばをひもとく。

藍、刈安(かりやす)、梔子(くちなし)、桜、植物の命をわけてもらい、あらたに色として命を生きなおしてもらうかのように大切に糸を染め、それを布へと織りあげてゆく。
ただひたすらに。糸を活かすために。とん、からり。
織るとは、なんなのか、しんしんと思う。


六月、書くことのできないあいだ、亡き祖母が書いて、手渡してくれた手記を読み直していた。
なんども文章を推敲した跡のある、紬のようなぼこぼことした手ざわり。つなごうとしたものがなんだったのか、ていねいに耳を澄ませる。ただひたすら田畑で野良仕事をし、お針仕事をし、食べさせ、食べてゆく日々。大切に思うこと、大事な人、忘れられないこと、日々の暮らしへの、祈るような言葉たち。

あわせる緯糸をみつけられないまま、与えられた経糸にじっとふれている。糸の声をずっと聴いている。

織る。しずかに想っている。自分の手を見つめる。


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