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日々のできごと すぎゆく夏

ひさしぶりの、日記のようなものです。


8月某日

夜明けまえ、好きだ。

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ほのあかるくなる東の空。うすれてゆくオリオン。だんだんとうつろってゆく色あい。


8月某日

野分のあした。
葉や枝の散り敷く森を歩く。
まだ青いちいさなどんぐりの、たくさん落ちているのをながめて歩く。

風がつよくふくと木々はゆれる。どんなに大きな、太い幹の木でも、よく見るとわりとゆれている。枝をしならせ、ゆらゆら幹ごとゆれる。べつにしっかり、びくとも動かず立っている必要などないのだな。

名前も知らない赤い実など拾って歩く。いたるところに散らばっているのにどこから落ちてきたものやら。

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大きな木の根もとに、集めた赤い実をそなえて、木肌にふれて、私にできることはなんですかね、とたずねたら、にこにこしてることですよ、と言われる。そうか。


8月某日

秋来ぬと目にはさやかに見えねども、というけれども、目にさやかに見えて、秋が来ている。
だんだんやわらかくなる雲のかたち、澄んでゆく空。
夏のあいだ花をめいっぱいつけていた草木たちの、ふくらみゆく実。

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秋がいちばん好きだ。
秋の訪れがそこかしこにあって、これから来る季節のことを思うだけでしあわせになる。
毎日空を見ている。
雲がきれいだ。


雲の白には、ぜんぶの色がある。
ときどきゆれて、桃色になったり、紫になったり。たえずうつろう、光の裳裾を見ている。



8月某日

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働きはじめて1年もたたないころ、体をこわして会社を早退して帰った。
駅からつづく道を歩いていたら、夕陽が見えた。

私の実家は集落の西のはずれで、西側が大きくひらけていて、田んぼのむこう、遠くの山に夕陽の沈むのが見えた。
だれかと遊んで、ひとりで遊んで、ときどき畑で火を焚いて、夕方、いつも西の空を見ていた。幼いころからずっと。
1日をしめくくるように、しばらく夕陽の沈むのをながめて、寝床にかえってゆく。

早退して帰った日に見た夕焼けの色、もう思い出せない。でもたちどまってしばらく見ていた。

1日のおわりに、夕陽が見たい、とそのとき思った。


人生でつよく願ったこと、すくないかもしれない。あんまり叶えたいこととか欲しいものとかそんなになかった。でもいままでたくさんのことを願ってきたし、いまでもいろいろ思ったりする。元気になりたい、とか、しあわせでいてほしい、とか、あれこれいろいろ、思う。
花みたいに、そういう思いが咲いてはこぼれて、いつか思ったことさえ忘れて、どこかに行ってしまう。

いろんな人と出会っていろんなことがあって年を重ねて、人生の最期、それまで思ったたくさんのことがうつろって消えていって、それでも最後に残るのは、1日のおわりに、夕陽が見たい、という気持ちなんじゃないかな、となんとなく思う。


あらゆることが手のひらからこぼれたあとも、それがいちばん最後まで、自分に寄り添ってくれるものなんだと思う。



ー 7、8月のありがとうの気持ち ー

☆記事紹介ありがとうございました
白鉛筆さん

☆マガジン追加ありがとうございました
Haruka.•* さんだいふくだるまさん久保田友和さん

☆記事のおすすめありがとうございました
びしばし。さん

☆記事での言及ありがとうございました
パプリカ人さん

☆そして、読んでくださるみなさま、ほんとうにありがとうございます。うつろいゆく、ほんのわずかなこの時間をいっしょにすごせてうれしいです。みなさまのしあわせをしずかに祈っています。
澄んだやわらかい季節がおとずれますように。


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