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愛しさをひらく

秋が深まってきて、梢がきれいです。
透きとおる色ガラスのような葉が風にゆれる。
日々がおだやかにすぎてゆくのを、ゆっくりと眺めるようにすごしています。

noteをはじめて、2年がたちました。
さまざまなことがありながらも、ここですごせてよかったなぁと感じています。

昔はただ悲しくて、そのかなしさがあるから、ものを書いていましたが、最近は、かなしさから、ものを書いている気がします。

草木を眺めたり、水辺に行ったり、人とことばを交わしたり。最近はすべてのことをゆっくりとおこなっていて、そうしていると、しぜんと自分の内側から泉がわくように、盈ちてくるものがあります。
それがたぶん、かなしさなんだと思います。


野焼きの煙。咲いていた花。雨の日。出会った人。窓辺に来てくれた小鳥のこと。
うつろい、消えゆく、それでもたしかにそこにあったもののことを心にとどめおくように、しずかに、たんたんと書いてきた日々でした。



昔は、失われることが悲しかったです。
草木も人も、いなくなることが悲しくて、あらがうような気持ちがありました。でも最近は、消えゆくことを素直に受け入れられるようになった気がします。

離れることになったとしても、いなくなってしまったとしても、そばにあった、たしかにあった記憶は残るし、その存在がもつ愛おしさは、失ってからでも育んでゆくことができる。


この2年でたくさんのかたと出会い、離れ、遠ざかり、また近づき、いろいろありました。

どんな時間も大切で、いまそばにいてくれる人も、かつてそばにいてくれた人も、愛おしいなぁと思います。
自分の状態も、人との関係性も、いろんな時期があるし、波もある。どうにもならないこともあるけれど、すこし目線を遠くにやって、相手の根もとにあるものを信じて、ゆったりと想ってゆけたらそれでいいかなと思っています。



やわらかくあること。
やさしくあること。
最近はそういうことをだいじに生きたいなと思っています。ことばも。ただしずかに、たおやかにそこにあること。

じょうずさや、なにかを求めること、そういうことは手放して、そのままの自分で、いまできることを。ここにあるかなしさをひらいてゆけたらいいな、と思います。





ひとつだけ、お知らせがあります。

大好きなクリエイターのtenさんに絵をお願いしたのですが、私にと贈ってくださった海の絵がとても素敵だったので、シェアさせてください。
ここにあるものにふれてもらえたら、うれしいです。


やさしく凪いだ海でありたい。
ずっとそう思っています。
大切なことを忘れそうになるとき、なにかを思い出したいとき。いつでもここに立ち帰りたいと思います。



長い長いお手紙、読んでくださり、ほんとうにありがとうございます。
どうかあなたと、あなたの日々が、おだやかにすこやかにありますように。




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