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出会いと一年

noteとの出会いは、検索で出てきたひとつの記事からでした。


その日の私に、明日を生きる力はなくて、ふとんのなかで横になるしかなくて、でも眠れなくて、漫然と携帯を見ていたときに、その人のエッセイに出会いました。

自分がどういうふうに思っているか、どう生きているか。
たえず自分を律し、整えているような、淡々とした文章で、その禅寺のような雰囲気に惹かれたことをよく覚えています。

だれかになにかを渡そうとか、だれかからなにかを得ようとか、そういうものの一切ない、ただ自分に徹したような文章世界の、清潔で澄んだ空気が心地好くて、それでようやく息ができる感じがしました。
ひとつひとつ、その人の書かれるいくつもの記事を読んで夜明けを迎えたこと、忘れられないです。


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何年も前に書かれていたその記事を、自分がnoteをはじめてからも、ときどき読んでいます。
こういうしずかな場所がつくれたら、と思いながら読んでいるけれど、とても遠い。

やわらかい海のような場所。しずかな場所。しんとできるところ。
ことばでそういうものをつくれたらなと思う気持ちはずっと変わっていなくて、したいのだけれど、なかなか思うようにいかないです。でも自分がnoteで活動する原点にあるのは、そのしずかな場所があったから、息ができた、ということ、忘れないでいたいなと思っています。


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じょうずにものが書けないとき。うまく人とかかわれないとき。
いろんなときがありました。答えの出ないことに悩んで、たちどまるときも。いまでも。

書くことに悩むと石牟礼道子さんの本を読む。
生きることに悩むと水辺に行く。
そういうふうに、原点となる、帰る場所をいくつかもって、ときどきたちかえりながら、1年すごしてきた気がします。


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自分になにができるか、いつも考えています。
書きたいことを、しんとした気持ちで書く、それは変わらないのだけれど、自分にできることを粛々とさしだしてゆきたいという気持ちが大きくなってきました。

したいことも、できることも、どっちもだいじで、その結節点はきっとあるはずなので、その場所からなにかをさしだしてゆけたらいいな、と思っています。祈るように、大切に人を想って、いまできることをすこしずつ。

1年の振り返りというより来年の抱負みたいになりましたが、大切にことばをつらねて、いつかしずかな海みたいな場所をつくれるようになりたいです。
そして、人のさしだすものを、そっとだいじに、やわらかく受けとめてゆきたい。



この1年、ほんとうにありがとうございました。
あなたがいてくれること、なんてしあわせなのだろうと思っています。

どうぞ、よいお年をお迎えください。
あたらしい年がどうかすこやかなものでありますように。遠くから、祈っています。


小川千紗

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