見出し画像

悪魔の薔薇(感想)_多彩な比喩表現から伝わってくる恐怖や理不尽、または美しさ

『悪魔の薔薇』は、河出書房新社から2007年に<奇想コレクション>シリーズの1冊として刊行されたタニス・リーの短編集。
収録されているのは「別離 / 悪魔の薔薇 / 彼女は三(死の女神)/ 美女は野獣 / 魔女のふたりの恋人 / 黄金変成 / 愚者、悪者、やさしい賢者 / 蜃気楼と女呪者 / 青い壺の幽霊」の9編。どの短編も怪しい雰囲気のある伝奇的なファンタジーとなっている。
以下、いくつか気になった短篇をピックアップしてネタバレを含む感想などを。

老いて、愛する人を残していく哀しさ『別離』

とてつもなく長い時間を女ヴァンパイアと伴に過ごしてきた従者のヴァシュエル・ゴーリンは自らの死期の近いことを悟る。飢えを感じることがなく欲望を覚えることもないほど老いたヴァンパイアのために従者が自分の後継者を探す物語。

ヴァシュエルが街で後継者を探しているところ、老人であることを侮って襲ってきた男娼の若者スネークに後継者としての資質を見出し、若者をヴァンパイアのもとへ連れていくのだが、女ヴァンパイアのもつ潜在的な迫力が文章から伝わってくる。

ヴァンパイアは笑い声を上げた。恐ろしい笑い声だった。そのとたん、火の消えた石炭が燃えあがるように、眠っていたがきわめて力強いものが、彼女の中に蘇るように見えた。その笑い声に、おぞましい生命に、若者はぎょっとして身を離した。一瞬、老人は豹のような黄色のひとみに恐怖を認めた。恐怖を引き起こすことがヴァンパイアの本質に備わっているように、スネークの本質に備わっている恐怖を。

スネークは館から逃げ出すも、導かれるようにして再度ヴァンパイアのもとを訪れる。その際には契約をしなかったが、人に恨まれることを数々行ってきたスネークは、街に戻ると二人組の男にナイフで刺されて瀕死になってしまうのだが、ヴァンパイアの血を飲むことで新たな力を得ることになる。
そうして、ヴァンパイアは新たな従者を得たことで活力と美しさを取り戻していく。
ヴァンパイアは不死のため、従者の交代は永い時間をかけて世代をまたいで行われてきた儀式と思われる。その過程をヴァンパイアからではなく従者の目線によって語られているのが新鮮。

普通の人間であった頃のヴァシュエルは見通しのない人生を送っており、酒を飲むか眠るかして費やしていたが、ヴァンパイアが文字の読み方、音楽、美術、歴史などの知識を与えてくれ、人間ではかなわない長寿も得た。
そして彼女のことを愛してもいたが、不死ではないため先に逝くことになる。

そんな境遇に至って、ヴァシュエルは自分の愛する女性のため、自分の代わりの男を探すことから生じる嫉妬や哀しみもあるのだが、長く生きることでくたびれ果て、死ぬことに喜びを見出しているのは救われる。
長く生きてきた者にしか理解できないような、かなり変則的なかたちのラブ・ストーリーとして趣のある物語だった。

死が具現化して近寄る恐怖『彼女は三(死の女神)』

主な登場人物は3人の男たち。詩人のアルマン、画家のエティアン、ピアニストのフランス、この3人は友人で芸術家としては成功しておらず創作活動に行き詰まっていた。

アルマンはろくに食事を口にせず夜の街を彷徨っている。川を流れる襤褸を死体と錯覚したりガス燈の下に佇んでいる女性が消えるのを見てしまい、空腹のあまり吐き気がこみあげてきたアルマンはワインと温もりを求めて、友のいるカフェ・ヴュールへ向かう。

そこでエティアンは浮浪児風の娘をスケッチするが、それは子どもの頃に視た死へ誘うピエレットだった。幼い自分が病気なのに両親が外出してしまったことによって孤独を感じたエティアンが呼び寄せてしまったのかもしれない。

フランスはかつて付き合っていた女や新しい同棲相手のことを見下すようなことを言い、ワインを飲んで歌う歌詞には「盗人娘、誘惑女、惨殺奥方」と不穏な言葉を含む。
フランスは酔って帰宅し同棲相手のクラリスに刺されて殺されるのだが、直前に見た姿はなぜかクラリスではなく身の丈二メートルもある大柄な女だった。
そうして薬物中毒のアルマンのもとにも死を感じさせる誘う女がいることが示唆され物語は終わる。

救いようの無い男たちの物語は、売れない芸術家たちの退廃的で悲惨なエピソードだが、自分自身の内面と向き合い、内側から絞り出すようにアウトプットする芸術家が精神的に病んでしまうのはよくある話しだ。ましてこの三人は世間的に認められてもいないから自己肯定感も下がりがちだ。
そうして、アウトプットするために酒や薬物へ頼るうち、徐々に摂取することが目的となってしまうことで境界を越えてしまう。
やがて精神を病み、ピエレット、大柄な女、美しい女などが死神のメタファーとしてあらわれるというのが耽美で退廃的な物語となっている。

決して結ばれない二人のラブストーリー『青い壺の幽霊』

十の絡繰の主人であるスビュルスは生きとし生けるものに恐れられ眉目秀麗な全能の魔導師。この世の可能性は疾うの昔に探り尽くし、知識を学び、慰みという慰みも極めている。
しかし、そんなスビュルスにとってたった一人だけ思い通りにならないのが、ルナリアという女性。様々な珍しい貢物を贈り続けるているが思い通りになることは無い。

この世のあらゆることを知り尽くしたスビュルスは生きる気力すら失いかけていて、ただ一人思い通りにならない女性、ルナリアを心変わりさせることだけが生きる気力になっている。

そんなスビュルスのもとへ怪しげな商人が青い壺を売りにくるのだが、スビュルスから発せられる無気力さや期待値の低さ、そして恐ろしさが伝わってくる。『別離』の感想でヴァンパイアの描写についても上記したが、こういう異形の描写が巧い。

スビュルスのまなざしから読みとれるのは、憐れみとかすかな好奇心、そして、強烈な倦怠感のみだった。
考えようによっては、こちらのほうが残虐さ粗暴さよりも質が悪い。
こんな空ろた虚ろなまなざしよりも、芝居がかった高笑いを浴びせられるか狼めいた牙でも見せられるほうがよほど好ましい。
「で?」スビュルスが口を開く。質問ではない。おお、後生だからわたしを楽しませておくれ、と、そういう嘆願だ。

七千の魂を閉じ込めているという青い壺を商人から買ったスビュルスは、ルナリアの元へ赴いて贈り物にしようとすると、引き換えに七夜を伴にすることを提案されるが、対価としてはあまりにも少ない。
そこで、いっそ壺へルナリアを取り込もうと企むが直前になって別のことを思いつく。

壺の中の魂は呼び出すことはできるが、これまで呼ばれた魂たちは命令に決して従わない。ならば自分の思い通りにならないルナリアを封じたら二度と手に入らなくなる。しかも、壺から出てきた魂たちはどれも壺の中の世界に満足していたのだ。
それならばと、この世に飽き気味のスビュルスはいっそのこと自分が壺の中へ入ってしまえと毒薬を飲んで自死する。

その後、ルナリアがスビュルスに冷たい態度を取り続けていたのは関心を引くためであって、壺の中へも喜んで入るつもりだったことが判明する。
しかしルナリアの思い描いたとおりになったとしても、既にこの世に飽きていたスビュルスのことだから、自分に従うルナリアにもいずれ飽きてしまっただろうから、どうあってもこの二人が結ばれることは無いだろう。
恋愛は自分の思い通りにならない相手を追いかけているときが一番楽しいのだから。

壺から出て来きた魂たちは、壺に入る以前の現実世界ではそれなりに満足した生活をしていた。しかしどの魂も現実世界よりも壺の中へ戻ることを望むワケだが、壺の中の世界は一体どうなっているのか。
壺の中がどのように素晴らしいのかは誰一人として語らないため、読者が想像するしか無い。案外、壺の中には何も魅力的なことはなくて、興味をひいて犠牲者を増やすために語らないのかもしれないけど。
--------------------------
特に印象的だった3つの短編の感想を書いてみたが、他6つについても概ね暗くて、魔神や魔術師の登場する怪しい世界での因果応報となるような話しが多い。それでいて説教臭くなくて比較的軽いのが気楽でよい。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?