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スパニッシュ・アパートメント(感想)_矛盾や不都合に対して抗う正直さ

『スパニッシュ・アパートメント』は2004年2月日本公開の映画で、監督はセドリック・クラピッシュ、そして主演はロマン・デュリス。
いわゆるスラップスティックなので気楽に観られる映画だけど、続編も制作されているだけあって、個性豊かな登場人物たちに魅力がある。
以下、ネタバレを含む感想を。

困難な道を選択するところまで

パリに住む大学院生のグザヴィエは父に紹介された古い友人の助言に従い、エラスムス計画によってバルセロナへ留学し、スペイン語とスペイン経済を学ぶことを決意する。

幼い頃に夢見た物書きになる夢ではなく堅実な将来を選択してわけで、さらに恋人のマルティーヌとの別れも辛いのだが、典型的なヒッピーで物事をはっきりと言う母との2人暮らしに息が詰まっていたことも、背中を押した。


バルセロナに到着後、いきなり予定していた家に住めないことになるも、人懐っこい性格のグザヴィエは飛行機で乗り合わせた若い夫婦の家に居候しながら、多国籍な若者の住まうシェアハウスで暮らすことになる。

グザヴィエは1年間、勉強しながらも失恋や人妻との情事、仲間たちとの馬鹿騒ぎなど、濃密な時間を過ごし帰国後は真新しいスーツに身を包み安定した仕事(上司からは若くして天下りと言われる)を与えられるも、仕事を放り出して物書きになることを決意するところで物語は終わる。
最後、グザヴィエが滑走路を走っているのは、手に入れた自由のメタファーで、ポジティブなエンディングに見えるも、困難な道を選択しているのも確か。

グザヴィエの人間的な魅力

本作の主人公、グザヴィエにはなんとも言えない魅力があって、それは不倫相手のアンヌ・ソフィから指摘されるとおり「いつでもどこでも自然体」なところにある。

身寄りのいないスペインで困っているのを、ほぼ初対面であったのに居候させてくれた恩があるのに妻を寝取ったり、さらに自分は人妻と不倫しておきながら、恋人のマルティーヌからフラれたら激しく落ち込んだりと、だらしないところがあるのだが、感情表現が豊かで、自分の気持ちに正直に行動する様子にはとても人間らしさを感じさせる。

大人になるということは、正しさを理解しながらも、慣習やしがらみによって、全く別の行動を取らざるを得なく、社会生活を暮らしていくうえで避けることの出来ない矛盾や不都合に対して心が慣れていく面もある。
しかしグザヴィエには、その時々で感情を表現してしまう未熟さがあって、スペインへ発つ飛行機の中や、帰国後も観光地では人前で泣いているし、マルティーヌから電話で別れを告げられてからの落ち込みようと、ウェンディへの八つ当たりがまさにそう。
職業選択にしたって、収入は不安定だが刺激的な日常を得るためにライターを選択しており、自分の気持ちに正直に生きている。

対照的に、妻を寝取られたのに混乱しているグザヴィエを診察してくれ、帰国前のパーティにすら顔を出してくれる神経科医のジャン=ミッシェルの方がよっぽど大人なのだが、人間的な魅力という意味では別の話しになる。
感情表現が下手になっていく様子から、きっとジャン=ミッシェルを見ていると「こうはなりたくない」という気持ちが勝ってしまうから。

お互いのアイデンティを認め合う

グザヴィエの住まうシェアルームでの生活は、それぞれの恋人が訪れた際には皆が気を利かせて2人きりにしてくれたりするも、ほぼプライベートのない生活。
だけれども、文化や言語の異なる様々な国の若者と一緒に暮らせたとしたら、悪いこともひっくるめて刺激に満ちた毎日になるに決まっている。

国ごとに異なる人種の違いや、スペイン国内でも複数の言語が存在し、それによって起きる軋轢などについては、あまり触れられないのは残念だったが、同性愛者であってもすんなり受け入れられているのは素敵だった。

物語のハイライトが、サプライズで恋人がアパートへやって来ることを、今まさに浮気をしているウェンディに伝えるために、ルームシェアしている全員が駆けつけるシーンというのも、なんともお気楽だが、浮気がバレないように、全員が確信犯というのが、共同生活をしているうちに生じた連帯感を感じさせて微笑ましい。

先のことを深く考えず、迷ったら取り敢えず行動する。恋をして夜通し馬鹿騒ぎもするし、不安なことなんてあったとしてもすぐに忘れることが出来るのは、異邦人だからこそ大胆な行動を取れるからというのもあるだろう。

早送り映像や異なるアングルの絵を同時に見せたりと、映像の演出としては古臭さもあるのだが、そういう刺激的な日常を送る若さへの憧れがパッケージングされていて、作品全体の魅力になっている。


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