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ダンジョン飯(漫画感想2)_栄養補給以外の食べる意味について

「ダンジョン飯」はハルタで2014-2023年に連載されていた漫画で、作者は九井諒子。
長くなったので、2つに分けた感想の前半はこちら。
2024年1月~ 原作へ忠実な内容でアニメ放映されているけど、以下はネタバレを含む漫画版の感想などを。

欲望を喰らう悪魔

ライオスたちは妹のファリンを救うためにレッドドラゴンを倒すという目的で迷宮探索をしてレッドドラゴンを倒した。
しかし、シスルによってファリンをハーピーにされてエルフたちが迷宮へやってきたことで迷宮の主を拐かしている翼獅子の打倒がファリンを救うための条件となり、作品テーマが魔物食から、食を含む”欲望そのもの”へと変化する。

迷宮を支配する狂乱の魔術師シスルですら”翼獅子”の傀儡でしかなく、エルフたちからは悪魔と呼ばれている翼獅子は古代人が異次元から招いた存在で、人間の欲望を喰らうことで力を得ている。

翼獅子と契約すれば、欲望と引き換えにして迷宮内では願いを叶えられるというのが寓話的だ。
人は願いが叶うと満足していられるのはいっときだけで、願いの叶った状態が日常になるとさらなる願いを望むようになって心が満たされることは無い。むしろ何の苦労もせずにあっさり願いが叶うだけに正気を保つのが困難になると思われる。
だから願いを叶うことを求めている過程こそが、最も幸福な状態だとさえ思う。

そんな翼獅子に最も近いところにいたのがライオスたちで、エルフのカナリア隊に襲われて身の危険を感じたマルシルは翼獅子と契約し仲間の寿命延長を願う。
マルシルは子どもを成すことが出来ず、自分ひとりが長寿だからやがて訪れる孤独に不安を感じて仲間の寿命延長を願ったが、ライオスはその願いをあっさりと否定する。

世界中の人にきみが決めた献立を無理に食べさせようとするのとおんなじだ!

さんざん嫌がる仲間に魔物食を求めておいてどの口が言うのかという話しだが、そういえばライオスも魔物を食べないと生き残れない状況へ追い込んではいたものの、食べるかどうかまでは強制していなかった。
翼獅子に唆されたとはいえ、主張をぶつけ合っても互いに歩み寄ることでパーティーの信頼関係を築いてきたのだからこれはマズイ。

ライオスが与えられた寿命以上の長寿を否定するというのも考えさせられるところで「長生き出来るのにそれを断るなんて」と最初は思ったが、自分の意志を無視されて延命されるのはやっぱり嫌かもと思う。
少し横道に逸れる。
例えば日本では経管栄養によって食べる楽しみを奪われ、寝たきりの状態になっても延命させられたりする。
しかも認知症だったりすると、もはや本人の希望ではなく家族の希望による延命だったりするのだが、人としての尊厳を失ってまで長生きしたい、またはさせたいのか? というのは考えさせられる。

空気を読めないけど、いいヤツ

翼獅子は用をなさなくなったシスルの熟成された欲望を旨そうに食べるのだが、その舐め方や恍惚の表情にはなんともいえない卑猥さがある。

そうしてマルシルが新たなる主となったことで、迷宮の形が変化し様々な種族や関係者が一同に介することになるが、エルフ以外の種族がライオスを支持したという展開が個人的に最も熱いシーンで、オークをはじめとする迷宮関係者がエルフと対立することになる。

ライオスが魔物好きで人間に興味を持てないのは、周囲の人間たちから浮いた存在だったからで、その原因にはファリンの能力が異端だったこともあったろうが、ライオス自身の性格によるところも大いにある。

シュローから大雑把で鈍化で間が悪いと指摘されているとおり、空気を読めずコミュ障で、食べることも含めて魔物が大好きという特殊な趣向を持つライオスだが根は善人ではあって、困っている冒険者がいたら助けていた。
つまり、オークやシュローそしてナマリなどの迷宮関係者がエルフへ逆らったのは、迷宮探索をしながら様々な者たちへ施してきたライオスたちの善行がようやく報われたということでもある。

誰かと一緒に食べる幸せ

やがて翼獅子はマルシルではなく、魔物に憧れ自身も魔物になりたいと願うライオスへまんまと乗り換えるが、欲望を消化することが出来る魔物となったライオスによって食われる。
欲望という概念を知らなかった翼獅子が人の欲望を取り込むことで学び、やがてはその万能の力と結びつけて世界を破滅に導くということだが、ラスボスとの戦いが剣と魔法で打倒するようなダンジョンRPGのお約束ではなく、やはり「食べる」とういうところが本作のユニークなところ。

その際にライオスは翼獅子から「一番の願いは決して叶わない」と呪いをかけられるのだが、その願いが妹の復活ではなはなかったというのがいかにもライオスらしくて笑ってしまう。
ライオスがそれを指摘されて傷つくことも含めてパーティーメンバーにはバレていた。
いずれにせよライオスが生粋の「魔物マニア」であることが多くの人々にとっては良い方向へ働いた。

翼獅子は消えたが、事後処理として種族間や迷宮関係者による駆け引きが浮き彫りになるも、いくつもの種族が一緒になってファリンの魔物部分の肉を食らうことで、物語のテーマが「欲望」から「食」へと戻ってくる。

何しろ食事は利害の一致しない者同士であっても関係を改善するために重要な役割を果たす。
かつてフランスはナポレオン戦争の代償を求められて、オーストリアやプロイセンと対峙したウィーン会議で、アントナン・カレームという天才料理人のつくり出す美食外交によって、敗戦国であるにも関わらず自分たちのペースに持ち込むことが出来た。

そういえば絵に描いた美味しそうな食事シーンといえば、私の場合は絵本の「ぐりとぐら」を思い浮かべる。
あのフワフワで柔らかそうなカステラへの憧れは、カステラの絵の質感もそうだが様々な動物が一緒になって同じものを食べる状況も美味しそうにみえることに寄与している。
食事は一人で食べるよりも誰かと食べた方が美味しく感じるし、誰と食べるのかも大事なのだ。


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