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レイニーデイ・イン・ニューヨーク(感想)_自虐的な皮肉のきいたラブコメ

『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は2020年7月に日本公開の映画で、監督・脚本はウディ・アレン。
シニカルな笑いどころが多くて、芋づる式にハプニングに巻き込まれるヒロインが笑わせてくれるのと、情報量が多くテンポのよいラブコメとして楽しめる映画。
以下、ネタバレを含む感想を

ウディ・アレンと重なるギャツビー

ギャツビー(ティモシー・シャラメ)はニューヨークで裕福な両親に育てられ母の勧めでアイビー・リーグへ進学するも挫折して、片田舎のヤードレー大学に通っている。古き良き時代のジャズや昔の映画が好きなロマンチストで、刺激の少ないヤードレーでの生活に物足りなさを感じている。
文化人気取りな母のことが苦手で、反発するわりには言いなりなところもあって、恋人のアシュレー(エル・ファニング)の家柄が良いのも母の期待に応えられていると考えている。

学生新聞を手掛けるアシュレーが大物映画監督の取材のためニューヨークへ行くことになり、ギャツビーは付き添いでマンハッタンを案内するために計画を立てるも、1時間で終わるはずだった取材が続けざまに起きる予想外のハプニングに巻き込まれて二人がそれぞれの時間を過ごすという話し。

趣味や服装、皮肉のきいたセリフまわしなど、ギャツビーにはウディ・アレンと重なる部分が多いからその分身を思わせる雰囲気があって、この役には監督の自尊心と自虐的なところが混在しているようにも感じられる。

引き立て役のアシュレー

本作の見どころは、ギャツビーとかつての恋人の妹チャン・タイレル(セレーナ・ゴメス)の偶然の出会いから、約束していない二人が待ち合わせ場所に現れるという運命的な展開となるが、アシュレーは終始この二人の引き立て役としての立ち回りになる。
業界の著名人たちに紛れ込んで夢のような1日を過ごしていたのに、最後は下着にコートを羽織っただけのずぶ濡れの姿でピアノを弾くギャツビーのもとへやってくるのが一番の笑いどころだった。

アシュレーは明るい性格で笑顔を絶やさないのが印象的な女の子。人見知りをしない行動的な様子がいかにもお嬢さんといった様子だがミーハーなところもあって、名声のあるおじさまたちから口説かれてまんざらでもない様子。

マンハッタンの路上でバーキンとロレックスを200ドルで買ったと偽物を掴まされたことに気付かないあたりが、いかにもツーソン出身のお上りさんといった印象で、興奮するとしゃっくりが止まらなくなるというのも笑いどころでいちいち可笑しい。
どこか垢抜けないアシュレーには性格的な素直さがあって、ギャツビーは自分に無いものを求めて惹かれていたのかもしれない。

裕福な育ちで生粋のニューヨーカーだったギャツビーには文化的な素養があっていかにも都会慣れした若者だが、ロマンチストだから演技でキスをするのに戸惑うし、憧れの人ならベッドの誘いも断らないアシュレーとは対照的。

ギャツビーと結ばれるチャンは口が悪いから、出会った当初のギャツビーは引き気味だけれども、会話のノリは最初から合っていてアシュレーのことを話す二人の皮肉の効いた二人の息はピッタシだ。

チャン:あなたがアリゾナ娘と?
ギャツビー:悪い? 
チャン:話題はサボテン?
ギャツビー:ガラガラヘビだ

文化的な下地や趣味、そしてニューヨークで同じ空気を吸ってきたからこそわかりあえる部分が二人にはあった。
ギャツビーはアシュレーを見下しているところがあったが、チャンとの関係の場合は対等に見える。

クセの強すぎる人たち

アシュレーとギャツビーの会話にはすれ違うことが多々あって、特徴的なのはアシュレーの誤りに対してギャツビーが指摘しないところにある。

先述したアシュレーが偽物を買わされたことに対しても無言だったし、NYを発つ朝に母親との会話の内容を尋ねられて、”最古の職業”とぼかした言い方に、”ジャーナリズム?”と聞かれても本当のことを言わない。
決定的だったのは馬車でコールポーター作詞の歌詞を引用したのにシェイクスピアと返されたのに、もう耐えられないといった表情で顔を背けるシーンだった。
ある程度同レベルの知識の者同士がぼかした言い方で理解しあえる時の楽しさは理解出来るが、これらの態度は母親の主催するパーティーに集う人々をスノビッシュと嫌悪していたギャツビーも同類で、監督自身の自虐的な面を顕在化させる意図も含まれていると思われる。

姉と付き合っていた過去の話しを持ち出して、キスやセックスの点数を10段階評価で伝えてくるチャンも相当性格が悪い。過去のことをほじくり返されたらギャツビーが可哀想だ。
そんなキツイ性格なのにギャツビー同様、ロマンチストなところにギャップがあって魅力になっているのだが。

名声を利用して世間知らずのアシュレーを口説く3人の大人たちも駄目な大人たちもクセが強い。
癒やしを求めるかのように縋ってくる男たちのターゲットが金髪碧眼の白人女性で、いかにも男好きするアイコニックなルックスなのも意図的な配役と思われる。

さらに駄目な大人として2018年頃の現実世界では、養女ディラン・ファローらのMeToo発言によってウディ・アレン自身が告発されているのがなんとも皮肉で、ティモシー・シャラメ、セレーナ・ゴメスらは出演料をチャリティ団体へ寄付している。
2020年公開された『Rifkin’s Festival』の興行収入は振るわず、次回作で監督業から引退すると言っているのは残念だが、これも時代の流れかもしれない。

だけれども、こういうクセの強すぎる人たちが登場する映画というのはなんともいえない魅力に溢れていて印象深い作品が多い。
テンポも良いし、あっという間に観終えたように感じられる映画だった。


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