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アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル(感想)_つくりあげられた物語

『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』は、クレイグ・ガレスピー監督による映画で米国の公開は2017年。
「ナンシー・ケリガン襲撃事件(1994年)」を扱った伝記映画で、元フィギュアスケート選手のトーニャ・ハーディング役を演じるのはマーゴット・ロビー。世間的な風当たりの強かったトーニャを擁護する内容になっているが、真実と虚構が入り混じっているため、内容を鵜呑みにしづらい作品になっている。
以下、ネタバレを含む感想などを。

JPチラシ

暴力的でクセの強い人々

トーニャ・ハーディングは1990年代前半に活躍した米国の元フィギュアスケート選手。難易度の高いトリプルアクセルを女子選手として史上2人目(米国では初)に成功させていた。
物語はトーニャの幼少期からスタート。ポートランドの貧しい母子家庭で育ちながらも、才能に恵まれて4歳からスケートを始めて若い頃から活躍し、夫となるジェフとの出会いや結婚のシーンもある。
6度結婚した母ラヴォナからはネグレクト、ジェフによるDV、さらに反撃するトーニャを含め、この3人は気が短いためすぐに手が出る。そのような環境で育ったから、殴られるのは自分が悪いからと思っていたとトーニャは語る。

1994年1月、リレハンメルオリンピックの選考会となる全米選手権で事件は起こる。トーニャは優勝する(後に剥奪)のだが、ライバルのナンシー・ケリガンが何者かに膝を殴打されて欠場。2週間後にトーニャの夫ジェフが襲撃に関わっていたことが発覚し、トーニャの関与も疑われて襲撃事件は多くの人々の関心を集めることになった。

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本作は、再現映像と本人にそっくりな役者によるインタビュー映像が交互に流れて進行するのだが、母ラヴォナがチューブを鼻に刺し、肩にインコをのせてインタビューを受ける姿が異様。さらに恐怖を感じるたのはマスコミに家を囲まれたトーニャを訪れ、初めて娘への優しい態度を取ったかと思いきや、テープの録音スイッチを入れて「襲撃のこと知っていたのかい?」と聞いてくるシーン。
この母親は、娘がスケーターとして大成することを応援していたはずなのに、オリンピック開始まであと数週間という大事なタイミングで裏切ってくる。
また元夫ジェフの言い分がトーニャと食い違っていることもあって、事件についてどこまで真実なのかは判明しない。味方だったはずの近しい人達が裏切っていることで事態が混沌としていることは伝わってくる。

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成り上がったトーニャの転落

トーニャはマスコミにとってネタの宝庫だった。リンクのすぐ裏ではタバコを吸っているし性格は粗暴。およそ美しさと技術を競うフィギュアスケートというスポーツには似つかわしくない人間なのだが、貧しさから這い上がり、トリプルアクセルを跳べる実力を持った選手でもあった。
ライバルにはナンシー・ケリガンがいて、マスコミは対称的に品行方正なお嬢様として取り上げた。さらに襲撃事件にはトーニャの関与が疑われ、世界中の人々の注目が集まるオリンピックという最高の舞台まで用意されていた。

マスコミはトーニャを悪女にすることでネタにした。トーニャやナンシーの人物像、さらに襲撃事件の真実がどうだったのかということより、話題づくりを優先するメディアによってコンテクストがつくり上げられたことが想像される。また、世間の人々も”叩いても良心の傷まない悪役”を求めている。

リンクに戻れなかったトーニャはその後ボクサーに転向するのだが、人々の衆目を集めることを求め、気の強いトーニャの性格からその決断は想像しやすい。
顔をグラブで殴られ、身体を回転させながら倒れこむ様子をスロースピードでまわし、かつてのトリプルアクセルの映像を挟むことで天国と地獄を味わったトーニャの生き様が印象づけられる。

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メディアによってコンテンツとして消費され、罵られてきたトーニャがリングにひれ伏す姿もとても比喩的だ。カメラ目線で「これが私の物語」と言い捨て、立ち上がる姿勢には清々しさがあり、むしろ徐々にトーニャに対して同情的になってしまうから不思議。
メディアによってコンテクストがつくり上げられたと先述したが、まさにこの映画よってさらに印象操作されている。

余韻の素晴らしいエンディング

エンディングもよく出来ていて、Siouxsie And The Bansheesによる「The Passenger」が流れだすと、血染めのリング上に力強い書体で表示される『I,TONYA』のタイトル。 
登場人物たちのその後の様子が文字情報で伝えられたあと、1991年にトーニャが優勝した全米選手権の本人映像も流れるのだが、素人目に見てもパワフルでスピード感のある演技の迫力が伝わってくるし、BGMと映像がやたらとハマっていてカッコいい。
この頃のトーニャは、まだ多くの人々から愛されていたはずで、演技を終えて幼さを残すトーニャの満面の笑みにはこみ上げてくるものがある。
さらに肩へインコのせたラヴォナ本人と、「俺の専門分野は防諜活動と対テロ作戦」と妄言を吐いていたショーン本人の映像も流れ、作品上の演出ではなく、本当にこういう人たちなのだなと。

複雑な環境で育ちながらもフィギュアスケート選手として活躍し、襲撃事件への関与もぼやかすことで、大筋でトーニャを擁護する立場の作品となっているため、さじ加減は不明だが美化されていることが想像される。
しかし、トーニャは自分の演技の得点が低かったりトレーナーをクビにしたことについて「私は悪くない、私のせいじゃない」と繰り返す。こういう態度を見せることで、罪を認めようとしないトーニャの身勝手な性格を印象付けており、襲撃事件への関与を否定していた態度にも信憑性を疑わせる。

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また、途中に挟みこまれるマーゴット・ロビー扮するトーニャのインタビュー形式のシーンはキッチンで行われているのだが、わざわざ洗われていない皿を左奥に映してトーニャのいい加減な性格を想像させているし、そもそもタバコを吸いながらインタビューにこたえる人を最近では、あまり目にしない。これらは”トーニャを美化し過ぎない”ことが意識された演出と思われる。

以上のように伝記映画なのだが、自分の都合の良いように記憶をつくり変えている人々による、虚構の混ざったダーク・コメディとして楽しめる映画だった。この”虚構の混ざった”というのがキモで、「どこまでが真実なのか」と思わせる余韻が残るのもよい。真実はつまびらかに明かされない方が人をひきつけるのだから。


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