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ファンタスティック Mr.FOX(感想)_野生の本能と文化的な生活を天秤にかける

『ファンタスティック Mr.FOX』は2011年日本公開の映画で、監督はウェス・アンダーソン。
本作はストップ・モーション・アニメとなり、主役のMr.フォックスをジョージ・クルーニーが、妻役のMrs.フォックスをメリル・ストリープがつとめている。
以下、ネタバレを含む感想を。

目覚める野生の本能

Mr.フォックスは、飼育されているトリを盗むプロだったが、妻のMrs.フォックスが妊娠したことをきっかけに足を洗い新聞記者の職に就く。
少し変わり者の息子アッシュを加えた家族生活にはささやかな幸せがあったが、Mr.フォックスは自分の記事が掲載される新聞を三流とこき下ろし、地下の穴暮らしに貧しい気持ちを抱えてたりと、どこか鬱屈したものを抱えていた。

そんな折に、新聞に掲載されていた広告”憧れの木の暮らし”に目が止まり、物件を見に行った際にその家の窓から、3人の人間(ボギス、バンス、ビーン)の農場が見えたことで野生の本能が目覚めてしまう。

Mr.フォックスは、いい感じにとぼけたフクロネズミのカイリを助手にして農場へ獲物を盗みに入って成功するも、残忍な農場主たちの反撃にあってMr.フォックス一家は住処を追われ、住んでいた木を丘ごとブルドーザーで壊されてしまい、さらに他の動物たちまでも巻き込んでしまう。

動物たちは、二足歩行をして不動産屋がいたり新聞が配達されたりとまるで人間のように文化的な生活をしているのだが、不意に本能をむき出しにして食事を平らげたり威嚇し合うのがおかしいのと、妻の妊娠は不意打ちのように告げられる。
また、動物たちの毛並みがふさふさした様子がCGのように冷たい感じが無くて質感が良く、ストップ・モーションなのにまるで生きているかのように見えて何とも愛らしい。

まるで人間同士の争いのよう

本作の対立構造は、3人の強欲な農場主中心とした人間たちと、住環境を追われた動物たちとなっているが、それはまるで人類による自然破壊によって住処を失いつつある動物たちのことを語っているかのようでもある。

しかし人間に飼われた番犬や鶏などは動物そのものだが、Mr.フォックスの周囲にいる動物たちは文化的な生活をしており、言語を介して人間とコミュニケーションを取る様子はもはや人間に近しい。

実際、Mr.フォックスは文化的な生活によって享受できる便利な文明社会にどっぷり浸かってしまっており、そういうお手軽で便利な生活は一度味わってしまうともう後戻りすることが難しいから、相反する野生の本能との葛藤を感じている。
オオカミが特別な存在として描かれているのは恐らくそういうとで、オオカミは世間に流されない孤高の存在で、Mr.フォックスにとって敬意を払うべき崇高なものとして登場する。

だからこそ現代的な目線でこの物語を俯瞰すると、本作での人間と動物の関係性を人間同士の対立構造の比喩と見た場合、農場主たちが「他国の資源や人的リソースを食い潰して巨大になっていくグローバル企業」で、動物たちは「搾取されている途上国」といった現代の歪のようにも見える。

富を持つものがさらに力をつけて、一旦弱者になったらそこから抜け出せずに搾取され続ける。だから抵抗することになるのだが、Mr.フォックスたちの行いは”盗み”であって、絶対的な善ではない。
だからこの物語は善悪で単純化しづらく、狐に対する一般的なイメージには狡いイメージもあるからこそ余計にそう感じさせる面もある。

それでも、ポジティブに生きていく

ラスト、スーパーマーケットで洗剤の箱の上へ立って行うMr.フォックスのスピーチには、妊娠発覚を告げられた直後ということもあって語り口は明るい雰囲気なのだが、いくつかの比喩によって修飾された言葉は少し物悲しい。

キツネはリノリウムの床が苦手というが、実は肉球が気持ちいい。
シッポは隔週で要ドライクリーニング、でも取り外し可能。
根こそぎにされたうちの木もいつか芽が出る。
スナックはガチョウ風味、ハトのモツは合成物、リンゴも作りもの風、でも星つきだ。
それでも今夜は一緒に食べよう、このパッとしない明かりの下でも。
皆はおれが知る限り、5匹半の世界一すばらしい野生動物だ
パックを挙げて乾杯を、我々のサバイバルに。

このスピーチがまるで都会に暮らす現代人のことを語っているかのように思える。自然破壊によって住める場所は減って、あらゆるものが人工的につくられているから味気ない。しかし文明や科学の進歩によって享受出来ている魅力には抗いがたく、いまさら野生には戻れないし、生物としての本能も残っているから子孫は産まれ続ける。
まるで人類の暗い未来を示唆しているようでもあるが、とはいえ死ぬまでは生き続けるしかないのだから、今は全てを忘却して踊るしか無いのだと。

原作のロアルド・ダール『すばらしき父さん狐』も読んでみたが、狐は穴の中に暮らしており、木の上に住まず文化的な生活もしていないから、これらはすべて映画独自の設定となるが、そのおかげで狐がまるで人間のようで、共感しやすくなっているし、物語により深みが増していると思う。

ウェス・アンダーソン監督作品はいつもサントラが良くて、本作では全体的にはカントリーっぽくてどこか懐かしさを感じさせる曲が多い。
Alexandre Desplatによるオリジナル・スコアが素晴らしく「Mr. Fox In The Fields」には、牧歌的でありながら上品な雰囲気もある。

冒頭、ヒナバトを襲うシーンのThe Beach Boys「Heroes And Villains」や、最後に夜のスーパーでMr.フォックスたちが踊る時のBGM、The Bobby Fuller Four「Let Her Dance」などの軽快な曲も印象的で作品の雰囲気に合っている。

余談だが、Mrs.フォックスの声を担当しているメリル・ストリープの出演作を観るとなんとなく「tasteofstreep」なるインスタアカウントを覗いてしまう。
これはメリル・ストリープの画像と様々な食べ物を合成した写真をアップしているアカウントで、その馴染ませ方の巧みさと奇抜であまりにも非生産的で馬鹿馬鹿しい発想に笑ってしまうのだが、2022年時点で500以上も写真がアップされている。それはメリル・ストリープの出演作の幅の広さや数が多いからこそ。やっぱりすごい。


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