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パンズ・ラビリンス(感想)_魔法の国へ帰還する代償に失ったもの

パンズ・ラビリンスはスペイン/メキシコ合作、2007年日本公開のダーク・ファンタジー映画で、監督はギレルモ・デル・トロ。
現実と妄想世界の絡み合う展開がよく練られており、ハッピーエンドのようでありながら、捉え方によってはそうでもない終わり方が趣ある映画だった。
以下、ネタバレを含む感想を。

パンズ・ラビリンス_01

フランコ独裁政権の恐怖政治がスペインを覆いつくしていた暗黒時代。
少女オフェリアは優しかった仕立て屋の父親を亡くし、母が再婚したビダル大尉のもとへ赴く。臨月の妻を無理に任地に呼び寄せる大尉は、まさに独裁のシンボルのような恐ろしい男。直面する現実は残酷なことばかりだった。

そんなとき彼女が見つけたのは薄暗い森の中の秘密の入り口。
妖精の化身である虫たちに導かれ、そこで出会った<パン>牧神に告げられたのは、オフェリアこそ地下の王国の王女であるということ。オフェリアは王女として戻るための3つの試練を与えられ“パンズ・ラビリンス<牧神の迷宮>"での冒険が始まる・・・。

森の中のゲリラ戦と、魔法の国へ帰還する話が同時進行

誕生して間もない独裁政権と、対抗するゲリラ組織の戦闘する森が本作の舞台となる。まだ少女であるオフェリアは仕立て屋を営んでいた父を亡くし、妊娠中の母カルメンからは、再婚相手の父(ビダル大尉)を受け入れるように言われるが、ビダル大尉は容赦なく敵を殺し捕虜を拷問にかける非情な男だった。

パンズ・ラビリンス_02

現実のつらさから逃避するかのようにおとぎ話を好むオフェリアは、森で見つけた妖精に導かれて”迷宮の守護神パン”に出会い、モアナ王女の生まれ変わりだと告げられる。そしてオフェリアがかつての姫君のままかどうかを試すため、満月の夜までに3つの試練に耐えることを課される。

この3つの試練で実行するべき行動については”道を標す本”で指示されるが、かつての姫君のままであるかを確認するために、3つの試練から「何を試されていたのか?」が作品中に語られることはない。

魔法の王国とパンについて

説明される情報が少ないためここからは想像となってしまうのだが、観ていて引っかかりを覚えた”魔法の王国”と、挙動不審な態度で甘い言葉でオフェリアを誘惑するパンについて考えてみる。

パンズ・ラビリンス_03

まず、オフェリアが帰還することを願った”魔法の王国”について、冒頭のシーンから

昔むかし - 遥か昔 -
嘘や苦痛のない魔法の王国が地面の下にあった
その王国のお姫様は人間の世界を夢見ていた
澄んだ青い空や
そよ風や 太陽を見たいと願っていた

”嘘や苦痛はない”というくだりから、一見幸せそうな国のように受け取れるが、地下世界でもあるため陽の光を見ることが出来ない場所であることもわかる。

また、パンに与えられた3つの試練から、この王国において姫にとって必要な資質についても考えてみた。
一つ目の試練では、巨大なイチジクの成長を阻んでいる大ガエルを騙して魔法の石を食べさせる「知恵」を試されていて、二つ目の試練では豪華な晩餐に手を出さないことで「自制心」を、また三つ目の試練で赤子を差し出さないことで「利他的の心」を試されていると解釈してみた。

つまり陽の光の届かない地下世界では、王族であっても質素な生活を強いられることになり、大衆を思いやれる優しい心と知恵を求められているのではないか。

パンズ・ラビリンス_04

しかも、パンは王女の生まれ変わりだとは告げているが、陽の光の届かない地下世界であることをオフェリアには伝えていなかったり、二つ目の試練を失敗したのに、理由もなく態度を豹変させて三つ目の試練をさせたりとどうにも信用ならない。

魔法の王国で暮らすことの幸せについて

エンディングのナレーションより現実世界から魂を転生したオフェリアは何世紀もの時間を王女として過ごしたとあるが、そもそも嘘や苦痛のない世界で永遠とも感じる長い時間を生き続けるのは本当に幸せだろうか。

真実や幸せの価値は、対立する嘘や苦痛があるからこそ実感できるもので、どこか物足りなさを感じさせるディストピアを想像させ、だからこそ、かつてのモアナ姫は従者の目をくらまして地上世界へ逃げ出したのだと考える方が自然だ。
現実世界にはそよ風や陽の光はあるが、嘘や痛みも当然ある。どちらのほうが幸せと比較できるものでもないが、幸せになるための代償はつきものだ。

パンズ・ラビリンス_05

魔法の王国そのものが妄想の可能性

たとえ魔法の王国が幸せな場所だったとしても、オフェリアはもうそよ風や陽の光を浴びることは出来なくなってしまったわけなので、手放しのハッピーエンドというわけにはいかない。

しかし、現実世界で生き残れていたとしても、大好きだった両親とは死に別れ、ゲリラは局地戦に勝利しただけで、独裁者はまだ残っているため厳しい戦いは続くのだろう。
望みを叶えるために代償が必要だが、オフェリアのその後の不幸が描かれないというのも、いかにもおとぎ話らしくてこの物語のエンディングには考えさせられるところが多い。

また、第3の試練でオフェリアとパンが対峙するシーンでビダル大尉の視点からはパンが見えなかった様子から、「魔法の王国」そのものがオフェリアの妄想だったという解釈もできる。その場合、オフェリアの魂は救済されることなく現実世界から消えて無くなるだけの悲観的なエンディングとなるが、ビダル大尉にパンが見えなかったのは「おとぎ話を信じていない大人」だから見えなかったと考えている。
また、もしすべてがオフェリアの妄想だったとするならば「魔法の王国」のナレーションもオフェリアの声であってほしい。
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私自身がグロテスクな映像を苦手なのもあって、ビダル大尉が裂けた口元を縫ったり、手のひらに眼球を埋め込む怪人(ペールマン)などを直視するのがつらかった。
しかし、日本版のチラシはこのようなイメージからはかけ離れているため、事前に心の準備も出来なかったのが悩ましい。あまり暗いイメージにすると収入に影響があるのだろうが、なんとかならいものかと思う。

パンズ・ラビリンス


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