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アスファルト(映画)感想_孤独と哀しみ/ユーモアのバランスが美しい佳作

2015年のフランス映画。郊外で出逢う3組の男女による物語で、ほんのりと切ないコメディ映画。自分はヒューマントラストシネマ有楽町で観たのを改めてDVDで見直してみた。
<以下STORY>

舞台はエレベーターの壊れたフランス、郊外のおんぼろ団地。
鍵っ子の高校生×落ちぶれた女優、車椅子の“自称"カメラマン×夜勤の看護師、英語が通じない移民の女性×NASAの宇宙飛行士―
不器用だが愛すべき6人の男女に突然舞い降りた思いがけない奇跡の出逢い。
その時何の変哲もない灰色がかったモノトーンの箱から一人一人の人生が色鮮やかにあふれ出す。

団地

物語の舞台が郊外であるせいか街がどことなく寂れており、ひび割れたアスファルトの道路や団地、曇り空などにより画面を覆う灰色の雰囲気からどことなく薄暗い雰囲気が伝わってくる。

3組の男女による3つのエピソードが語られるオムニバス形式っぽいの展開になっており、それぞれの配役は以下の通り。

ジャンヌ・メイヤー:女優(イザベル・ユペール)
シャルリ:少年(ジュール・ベンシェトリ)
スタンコヴィッチ:中年男(ギュスタヴ・ケルヴァン)
看護師:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)
ジョン・マッケンジー:宇宙飛行士(マイケル・ピット)
マダム・ハミダ(アラブ系の女性)(タサディット・マンディ)

シャルリとジャンヌ

落ちぶれた女優と少年による、恋愛には発展しないが親密な関係性

10代後半と思われる少年シャルリは、団地に母親と2人で暮らしている。しかしシャルリが起床して学校へ行って帰宅するまでに母親が登場することは無くただ給食費がテーブルに置かれているただけ。本人が冗談で一人暮らしをしていると言ったりするほど、ほぼ育児放棄されていることが想像される。
そんなシャルリのお向かいへ越してきた落ち目の女優ジャンヌ。中年であるにも関わらず10代の役をもらおうと演出家へ会いに行くようなプライドが高いが妖艶な女性。
結果、ジャンヌは演出家には会えずに酔いつぶれて帰ってきてシャルリに介抱されることになる。灯りの点いてない部屋で男の名前をつぶやいて「彼の隣で寝たいの」と泣き、シャルリに慰めされながら寝る。
ジャンヌは翌朝にはケロッとした顔で介抱してくれたことをシャルリへ謝罪。シャルリの提案で演技動画で売り込むことになると、シャルリの求める強気の演出へ素直に従うジャンヌ。しかし、芝居の台詞でカメラ越しにシャルリへ語りかけられる台詞は、本来であれば家に不在な母親からかけられるべき言葉のよう。
世間知らずなジャンヌなので、問題が起きるとシャルリに頼りっぱなしに見えるのだが、このシーンではシャルリにとって大人としてのジャンヌの存在感が際立ってくる。

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冴えない中年小太り男と夜勤看護師の恋

団地のエレベーターへの修理費の支払いを断った直後に、車椅子生活になる中年男のスタンコヴィッチ。他の住人のエレベーター利用時間をメモして、深夜にこっそり外出するも食料品店は閉店しており、病院にある自販機のスナック菓子やパンしか買えるものが無い。

帰りがけに声を掛けてきた夜勤の看護師に一目惚れし直前に『マディソン郡の橋』を見ていたため、思いつきで自分はジオグラフィックと仕事をするようなカメラマンだと言ってしまう。
翌日、テレビに映る有名人をインスタントカメラで撮影し自分が会って撮影したと嘘を吐く。さらに、看護婦に写真を撮らせて欲しいと約束を取り付け、スーツを着用のオシャレをした上でいざエレベーターへ乗るのだがここでまさかのエレベーターが故障。怪我した足を引きずって看護婦へ会いに行くも既に朝になっている。

ここまでは哀しい喜劇なのだが、病院から帰宅する看護婦へ声を掛けるところからのシーンが秀逸で二人が恋に落ちるシーンとなっている。

看護師と中年男_02

強張った表情でカメラへ顔を向けられない看護婦と、足を引きずってカメラのフラッシュを炊くスタンコヴィッチ。
「笑わせて」という看護婦に対して、スタンコヴィッチは「面白い男じゃない、写真家でも無い。家もこのすぐ近所だ。毎晩エレベーターをこっそり使い、病院の自販機でスナックを買ってる。カメラにフィルムも入ってない」と告白する。
しかし、それに対する看護婦の返しが「うまく撮れた?」だ。

つまり、看護婦はスタンコビッチがカメラマンで無いことに薄々気付いており、写真を撮りたいという約束も、自分に近づくための口実だと心のどこかで分かっていた。
真実が分かっても、落胆を表に出すことは無いしスタンコヴィッチを責めるでもなくただ「うまく撮れた?」と続け、そうしてスタンコヴィッチも「ああ」と肯定して終わる。
看護婦の事情が語られることは無いが、誰かにこんなにも愛されることの嬉しさがこみ上げている様子であったり、そうさせてしまっている孤独が想像されて切ない。
(しかもコートを脱いだ看護師の着ていた紺地に白い花柄のワンピースがやたらと可愛い)

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優しいアメリカ人と慈愛に満ちた母

団地住まいの移民と思われるハミダの息子は刑務所に入っており足繁く面会へ行く生活。そこへ突如、団地の屋上へ不時着した宇宙飛行士のジョン。NASAからの迎えが来るまでの2日間をハミダの家へ滞在することになる。

息子のお気に入りTシャツ(マルセイユ)を着用し、ハミダのお得意料理のクスクスを食べたりして、息子の不在にふと涙するハミダを慰めたりする。
何でNASAがフランス郊外の団地の屋上へ不時着するんだよ!という不自然さに加えて二人の言語が違うために言葉が通じなかったりと、そのやり取りがいちいち可笑しい。そうして、二人の関係は本当の親子のようでいていちいちそのやり取りが切ない。
(これはひょっとしたら移民にとって住みづらいフランス政府への批判で、異邦人へ優しく接するハミダによって、移民問題を皮肉っているのかもしれない)

2日間の滞在が終わり、ジョンはお礼に宇宙服からNASAのバッジをハミダへ渡してヘリで飛び立つ。ジャンヌとシャルリがヘリを見上げている。

シャルリ_02

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3組の男女が絡むことは無いのだが、全員がそれぞれに聞いていた金属音のオチが判明して映画が終わる。このシーンにはどういう意味があるのか。
この金属音について、それぞれが「叫び声」や「悪魔の声」であったりまたは「不気味な音」だと想像しているのだが、実際は金属扉が風で軋んでいるだけであった。ひょっとしたら、よく分からないモノや人に対して人は疑心暗鬼になりがちだけれども、実際に話したり触れてみるとそんなこともないよ。というメッセージかもしれない。

静かなユーモアで笑わせてくれる、どこか脱力したユーモアがありながらも少し哀しい気持ちにもさせてくれるヒューマンドラマ。ハッキリ言って地味で印象の薄いフランス映画だ。だけれどもどこか憎めない登場人物たちにはそれぞれ孤独であるからこそ、小さなきっかけでお互いの距離感を縮める。そんなやり取りがとても優しい気持ちにさせてくれるため自分にとってはとても大事な映画だ、オススメ。

チラシ



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