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甲斐荘楠音の全貌展(感想)_着飾った女の美しさと得体のしれない恐怖

東京ステーションギャラリーにて2023年7月1日から開催されていた『甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)の全貌』展へ行ってきたので、いくつか心に残った作品についての感想などを。


横櫛(1916年頃)

愛する男のために強請りや殺しに手を染める「切られお富」がモデルになり、物語の結末はその愛する男の与三郎というのが小さい頃に生き別れた兄弟だったと知って自害するという悲劇で、業の深さが半端ない。

顔の輪郭が丸っこいせいか少し童顔の印象。しかし女性の背景を知った上で見直すと笑い方が不気味で死相を感じる。おそらく白すぎる肌と目の下の赤みや力強い眼光がそうさせていると思われ、狂気が滲み出ている。
猫背気味でこちらをうかがうようにすっと立っている様子が、今にも何か声をかけてきそうな雰囲気。

次に目に付くのは紫と黄色の対比が強烈な着物。右肩から脱げかけている桜の模様があしらわれた紫の着物と内側に着ている黄色が補色だからインパクトが強い。
黄色い着物にあしらわれた焔は女の強い情念のようで迫力があるし、背景に咲き乱れる大きな牡丹の花まで妖しく見えてくる。



横櫛(1918年頃)

こちらも『横櫛』だが上記と比較すると目元のインパクトが薄らいでいるから強烈な印象は控えめ。女の首が少し細くなって顔のつくりはやや大人びている。また、着物の配色も大人しい組み合わせのため迫力も劣るが、歌舞伎役者と思われる絵柄は豪華。
バックグラウンドを知らずに鑑賞するとまっとうな美人画のようだが、この容姿で強請りや殺人をするとなるとそのギャップがかえって恐ろしいというのはある。



女人像

美人ではあるのだが、気の強そうな性格を感じさせる鋭い目つきのせいで妖艶。笑みを好意的な印象で受け取れないのは、柔らかい光が全体にぼんやりと女性に当たっていて妖しさを強調しているからにも思える。
花の持ち方が作為的で、ポーズを取っているようだが目はこちらを見ずに何を見ているのか。
花を持つ指は柔らかくてしなやかな肉の質感を感じさせるのだが、植物の陰影が強いのと、絡め取るような形状のせいでやはり妖しい。



着物の柄の華やかな色の組み合わせが印象的。淡い青、ピンク、茶色の組み合わせが上品で、朱色がアクセントになっている。
芸鼓や毒婦といった他に展示されていた美人画と比較して、珍しくポジティブな印象の美人画で会場全体では異質。

身体のラインの分かるポーズから色気を感じさせるが、こみ上げるような微笑みにイヤラしさはなく、快活な髪型やコップにストローの組み合わせが大正時代にしてはモダンなのかも。



幻覚(踊る女)

あからさまに人ならざる雰囲気のあるこちらの絵には『横櫛』と異質の怖さがある。
女の輪郭がはっきりせず、目の周囲も赤くなっているせいでもはや人ではない何か情念のようなものが実体化したのかと思えてくる。
背景に黒い手の影が伸びているのも不気味で、不自然に伸びている左足もこちらへ迫ってきているかのようでもある。
しなかやかな身体のラインもだが、女の周囲に金色の粒子が散りばめられているおかげでいかにも舞っているように動きを感じさせるのは見事。



虹のかけ橋

豪華絢爛な着物を身に付けた女たちの7人の女たちが横に並ぶ様子が圧巻。着物が豪華過ぎて、女たちの顔に少し地味な印象を感じさせる。
着物の柄は細かく描写されていて、全てが異なる柄なのに画面全体ではうるさい感じがなくて、調和しているのがお見事。
正面を見る真ん中の女性から拡がりを感じさせるような並びには、画面全体から圧を感じるような迫力がある。


甲斐荘楠音の描く美人画は、裸婦などの素の状態ではなく着飾った女の絵画になんとも言えない魅力を感じる。
白粉によって素肌は隠されて豪華な着物やかんざしで着飾った女には、美しさの下に秘められた負の感情や醜悪さが意図的に伏せられているようにも思える。
そんな女に騙されてみたいという願望、または非日常のようなものを感じさせる絵画だった。
会場には絵画だけでなく映画で使用された着物も展示されていたが、やっぱり美人画の方が興味深くて画壇に馴染めずに映画会へ転身したのだとしたら惜しいと思う。「畜生塚」の完成形を見て見たかった。


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