はちどり(感想)_塾教師から少女へ伝えられる言葉の美しさ
『はちどり』は2020年4月に日本で公開された韓国映画で、監督/脚本は初の長編となるキム・ボラ。
作品中の時代は1994年となっており、スマホどころか携帯電話すら普及前のため外出時の連絡手段はポケベルだし、ベネトンのカバンも懐かしい。
この物語の数年前、韓国では1988年にソウルオリンピックを開催。経済は安定期に入っていたが、1992年にはソビエト連邦が崩壊。その影響もあって32年間続いていた軍事政権が消滅し、金泳三(キム・ヨンサム)政権によって軍の政治関与の制限など、民主化が進められていた。
そんな社会構造が大きく変化する韓国で、漫画を描くことが好きな14歳の少女、ウニの不安定な心情が描かれた作品となる。
以下、ネタバレを含む感想などを。
1994年、ソウル。家族と集合団地で暮らす14歳のウニは、学校に馴染めず、 別の学校に通う親友と遊んだり、男子学生や後輩女子とデートをしたりして過ごしていた。 両親は小さな店を必死に切り盛りし、 子供達の心の動きと向き合う余裕がない。ウニは、自分に無関心な大人に囲まれ、孤独な思いを抱えていた。
ある日、通っていた漢文塾に女性教師のヨンジがやってくる。ウニは、 自分の話に耳を傾けてくれるヨンジに次第に心を開いていく。ヨンジは、 ウニにとって初めて自分の人生を気にかけてくれる大人だった。 ある朝、ソンス大橋崩落の知らせが入る。それは、いつも姉が乗るバスが橋を通過する時間帯だった。 ほどなくして、ウニのもとにヨンジから一通の手紙と小包が届く。
家庭、学校の人びとから、疎外感を感じる
ウニの家族は巨大集合住宅に、両親、兄、姉、ウニの5人で暮らしている。父は浮気をしているらしく、娘たちが言うことをきかない理由を妻の育て方のせいにしてしまう拙さがある。兄はいい大学に入るために神経質になっており、しょっちゅうウニに暴力を振るう。母は日々の仕事に疲れていて、ウニのことを気にかける余裕はない。姉は高校受験に失敗したためか、夜遊びをしている。
家父長制度のためか父の言うことは絶対で、母も兄の暴力を強く咎めたりしない様子から、男性優位の韓国社会の縮図がウニの家庭にも透けて見える。
冒頭、家の扉が開かずに動揺するウニの様子によって、家族から受ける愛情が希薄であることが象徴的に描かれている。
また、厳しい学歴社会のためか、父は兄の大学進学についてはしょっちゅう口にするし、学校では教師に「カラオケではなくソウル大学へ行く」ことをわざわざ復唱させられる。
ウニはとても不器用な女の子だ。まず誰からも好かれるいい子であるように愛想を振りまくことが出来ない。かといって、大学受験のことばかりを話題にする人や兄の暴力について理不尽だと感じながらも、それらをうまく言語化するには幼すぎる。そうして溜め込んだストレスをタバコや万引することで発散させる歪さがある。
また、感情を爆発させて怒ることはあっても悲しいからと涙を流すシーンはない。泣いたところで問題が解決しないからと我慢しているのか、実感がわかないのか。いずれにせよ感情の表現や発散が下手な子だと思う。
そんな、自分の気持ちに正直に生きようと思いながらも、足掻いているウニに対して漢文塾の教師、ヨンジ先生だけが寄り添ってくれた。
不安定なウニに寄り添ってくれるヨンジ
ヨンジは大学を休学中で、タバコをふかす不思議な雰囲気の塾教師だ。強いストレスを抱えるウニの質問に対して、常識的で画一的な大人の回答ではなく、ヨンジなりに咀嚼した回答をする。その姿勢がウニの悩みを聞くために積極的に踏み込んでくるというより、つかず離れずにウニに寄り添うために好感を持てる。
「自分を嫌いになることがあるか」との質問に返すヨンジの言葉は、すんなりウニの心に沁み込む。
自分を好きになるのは時間がかかると思う。
自分が嫌になる時、心をのぞいてみるの。
”こんな心があるから”
”今の私を愛せないんだ”って
ウニ、つらい時は指をみて、そして指を1本1本動かすの。すると神秘を感じる。何もできないようでも、指は動かせる。
また、”私たちは死んでも立ち退かない”という横断幕をみて同情するウニに対して、知らないから、むやみに同情できないから可哀想だと思わないで、というセリフからヨンジの誠実な人柄が伝わってくる。
中途半端に理解した気持ちになって憐れみをかけることは、同情する側の自己満足でしかなく、相手の尊厳を傷つけることになりかねない。そんなヨンジから贈られたスケッチブックを優しく撫でて、匂いをそっと嗅ぐウニのシーンに共感する。
思春期真っ只中の恋人と後輩
ウニには恋人(キム・ジワン)と、好意を持ってくれる後輩(ペ・ユリ)がいるが、結局のところ孤独を深めるウニの救いにならなかった。この二人との関係は幸せと不幸が交互に押し寄せてウニの心を惑わせる。
本当に大変なときにウニのそばに不在だった恋人に対して「いいんだ、あんたを好きだったことはない」からの画長回しで、ゆったりとした歌謡曲をバックに徐々に地団駄を激しくさせるシーンにグッとくる。
ずっと好きだったはずなのに、そう言わざるを得なかった自分と、そうさせてしまった恋人の態度に対してのやりきれない気持ちが伝わる。
また、ウニのことを好きだと言ってくれた後輩が、退院したらばそっけない態度をとる返しも秀逸で、「前の学期の話です」のくだりに笑ってしまった。さも、そんなこともわからないのか?という表情で開き直って言うのもとても腹立たしい。
後輩がウニに好意を寄せていたのは一過性のもので、単なる心変わりだったわけだけれども、まさかそんな理由で!
しかも、それを塾に親友に伝えたら、「ウニはときどき自分勝手」とまで言われる始末。これではやりきれない。
激動の時代と、寂しさを感じる終わり方
ウニの不安定な心情と重なり、途中に挟み込まれる北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席の逝去、そしてソンス大橋の崩落事故。これらのニュースから当時の急激に変化する韓国の混乱した空気を感じられる。
橋の崩落を知ったウニは、慌てて両親へ電話連絡するも姉は死んでいなかったが、のちにヨンジが巻き込まれていたことを伝えられる。そうしてヨンジの部屋に通されたウニは、じっと自分の指を眺める。
ヨンジから残された手紙には「塾を辞めた理由を、会ったときに全部話す」と書かれていたが、わからずじまいなので鑑賞者の想像に委ねられている。好意的に捉えるならば、ウニから何らかの影響を受けて、大学へ復学する目標をみつけたのだろうと思われるが。真実は語られない。
ヨンジの家からの帰宅後、母から無言でみつめられながらチヂミを食べるシーンから、母の愛情を感じさせる描写があったので少し救われるのだが、ラストのシーン、スロー再生で元気にはしゃぐ同級生たちのなか、ひとり抜け殻のように無表情に同級生をみつめるウニの終わり方に後味の悪さを感じる。
ウニを取り巻く状況はなにも変わっていないので、ヨンジ先生から教わった世界の美しさに絶望せずに生きるしかない。
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サントラは音の隙間が多くてとてもシンプルな、アンビエント・ミュージックとなっている。不安定に揺れるウニの心情を感じさせる美しい楽曲が心を落ち着かせたいときに心地よい。
また、恋人にプレゼントしようとしたカセットテープの曲もやたらポップで甘酸っぱい曲調が印象的(サントラ未収録)。
ラジカセのスピーカーにマイクをあててカセットテープに録音する行為と、手描きのラベルと一緒にひと手間かけることで気持ちの込められている様子が伝わってきて、これも好きなシーン。