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本気で愛するということ

今日はカフェに行ったのですが、リュックサックに飲み物をひっかけてしまい、隣のお客様が飲んでいるグラスを割ってしまいました。新しい飲み物を注文し、支払いますと話していたら店員さんがサッと駆けつけて新しい飲み物をサービスして下さいました。もちろんタダです。割れたグラスも綺麗に片付けてくださり、私は謝ることしか出来ませんでしたが、とても心を配ったサービスに胸がじんと熱くなりました。そのカフェにはまた通おうと思います。

さて、今日語りたいことは愛について。
皆様はいろんなことや物や人について愛を持って接していますか?愛は異性だけに限らないのです。長く愛用している物や、ずうっと続いていく友情、いつも励ましてくれる家族など世界はいつだって愛にみちています。

私はいつも友情に関しては相手との距離を縮めることに無茶苦茶時間がかかります。もういい年齢した大人だから人間関係には慎重なのかもしれません。いやいやこれは子どもの時から時間がかかっていたかも(笑)とにかく仲良くするのに時間がかかります。人に心を開くということも慎重でめったに心を開きません。人の懐にも入りません。私は私という考えでいつもどこか一匹狼なのです。

でも一度心を許すと、友情が長く続いていきます。その友達を大切にしたい気持ちが強くて何かと声をかけてしまいます。大切な誕生日なんかはメッセージを送ったり、プレゼントを送ったり、年賀状で季節のお便り送ったり…なんかしてます。友情は細く長く続いて欲しいと思っています。ベタベタした付き合いは苦手だけれども、いつでもフラットな気持ちで会える自由な関係を望んでいます。

これは異性との関係でも言えることなんだけれど、私は毎日LINEで相手とメッセージ交換したり、毎週会わくちゃいけないみたいな義務的な関係になるとふくらんでいた恋心が一気に萎みます。そうなのです。私はいつも風のように自由でいたいのです。束縛されたり、したり、嫉妬したり、そういう感情が大の苦手です。いつだって相手の自由を認めることは愛です。だって愛しているから自由に生きて欲しいと願うのは私にとって当たり前で、その代わり私にも自由を認めて欲しいのです。

私は異性を本気で愛した経験がありません。
いつも恋のはじまりを感じとっても、気持ちが長続きせず、好きになれないのです。恋愛にとって致命的だなと思っています。そんなに好きになれるのって一種の才能なんじゃないかなと思っています。純愛は高校生から大学生までだよね…といろんな気持ちが萎んでしまいます。大人の恋愛はいつも責任が付き纏ってややこしい。

以前異性の人から交際を申し込まれたことがありました。でも話していてその人は全く私のこと好きなんじゃなくて、寂しすぎてその穴を付き合えそうな私を見て交際を申し込まれたことがありました。もちろん遠慮なく断りました。好きな人じゃないのに告白する意味ってあるのかな?と思いました。付き合えそうな人や結婚できそうな人だから、とりあえず告白してみるのって失礼だと思います。本当に好きな人だったら告白すればいい。ただそれだけのことです。

本気になれる恋って美しいです。
それがどんな結末を、迎えようとも心の中で一人の人を愛した情熱は一生消えないでしょう。普段周りの人を愛しながら生活している私ですが、一生に一度で良いので本気になって異性を愛してみたいです。私はそれが出来たら、十分満足なのです。

今日もこの記事を読んで下さった方に愛を込めて。


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