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「帝国キネマと東大阪」郷土史の中のウラ史実②~「あしたづ」第十号より


▼「太秦映画村」は大阪にあった!

京都にある太秦うずまさ映画村を知っていますか?
私も子育て中に訪れた事がありますが、今でも現役の東映映画の撮影所です。
その前進が、かつて「帝国キネマ園芸株式会社」という社名で、大阪にあったという事実を知って驚きました。
私も半世紀をとうに過ぎるぐらい生きてますが、さすがに知らなかった。

まだ映画が「活動写真」と呼ばれ、無声映画に合わせて弁士がセリフを語る時代。日本にそれが入ってきたのは明治29年(1898)と伝わっています。
大正3年(1914)、現在の近鉄である「大阪電気軌道」が大阪⇔奈良に開通すると、その3年後に大阪の郊外に拠点を置きます。

▼小阪撮影所

「帝国キネマ」は現在の東大阪市・小阪、近鉄奈良線「河内小阪駅」付近に、敷地面積570坪・建物44坪で撮影用板敷を備えたスタジオ・現像室・フィルム乾燥室などの設備が整った撮影所としてスタートします。

交通の利便性が良い上、近隣には松林があり、その並木は時代劇撮影の時のバックに最適で、ここで天然色活動写真が撮影されていたのです。
朝ドラ「おちょやん」に登場した「京都撮影所」のモデルイメージは、この小坂撮影所だったそうです。

やがて、撮影関係者による対立などから揉め事が起こったり、敷地が借用地の上、手狭になってきたため新しい土地を求めるようになります。

大正12年(1923)、現在の兵庫県の山手、高級住宅街で知られる芦屋市へと移り、宝塚歌劇団出身の澤蘭子さわ らんこ主演の「かごの鳥」が爆発的な大ヒットとなり、同時にその主題歌も大当たりして、超莫大な興行収入を得ます。

~あいたさ見たさに こわさを忘れ 暗い夜道をただ一人~

歌詞を調べてみたら、なーんとなく聞いたことあるかな・・・という程度の記憶なのですが、さすがに知らないないなぁ。

▼長瀬撮影所

莫大な資金を手にした「帝国キネマ」は、昭和3年(1928)、現・近鉄奈良線「河内小坂駅」から2キロほど南にある、同じ近鉄の別の沿線、大阪線「長瀬駅」に移ります。

当初は5000坪だったのが、後に倍の一万坪に拡大し、広大な蒲鉾型アーチのスタジオを備えた、小坂時代とは比べ物にならないほどの堂々たる撮影所で、「東洋のハリウッド」とまで言われていました。

こちらも交通便が良く、撮影のバックに利用しやすい,松林が続く風致地区が隣接していました。
長瀬界隈は当時人気の俳優たちの往来や、近隣での撮影などで大いに賑わったそうです。

ところが、

昭和5年(1930)、突然の出火により全焼してしまったのです。

帝国キネマは急遽、京都・太秦うずまさへと移転し、長瀬の再建はされないままでした。

竣工からわずか2年であの輝かしい撮影所は、跡形もなく消滅し、あまりにもあっけない顛末でした。
一時的であれ、「東洋のハリウッド」とまで言われ、あれだけ栄えた長瀬界隈は、寂れた田舎町に戻ってしまったのです。

▼栄えるか廃るかは紙一重

少なくとも、昭和20年代後半頃までは、長瀬付近の住宅街各所には松林が見られ、「風致地区」の石碑も存在していたそうです。

私は大阪人ですが、この長瀬や小坂に土地勘はなく、縁もゆかりもありませんし、失礼ながらどちらも今一つパッしない所という認識です。

河内小阪駅に関しては、遠い昔、高校受験する際、公立高校との併願受験しようかと検討した「樟蔭しょういん高校」があるという記憶ぐらいらいしかなく、受験説明会か、願書をもらいに行ったかで下車したことはあるのですが、結局、別の高校を受験したため、付近の様子はまったく覚えていません。

長瀬駅はマグロの養殖に成功した近畿大学の最寄り駅となっていて、長男が受験したものの落ちてしまい、結局は別の大学に進学することになったので、私自身は行った事もありません。

近畿大学があるぶん、若干長瀬駅の方が賑わっているかもしれませんが、どちらの駅も、学生街であり、ちょっとした飲食店と商店が立ち並ぶものの、急行は停車しない閑静な住宅地のようです。

かつて、人気俳優たちが闊歩かっぽしていた映画の街の面影など微塵もないようです。

結局、時代は日清・日露・世界大戦という、戦争が続き、経営者が火事後に手を引いたりで、この辺りに再建されなかったのですが、その跡地はまったく別の形になって生まれ変わったようなのです。

大阪の郊外の標準的な街として存在しているこの2つの駅は、歴史の中で大きな盛衰を経た土地であったとは、なんとも感慨深いものです。

今では何の特徴のない土地でも、そこで生活を営んだ人々がいて、栄えた歴史が埋もれているとは、なんとも胸がザワザワしてしまいます。

これは一人でただ単に散歩するだけではなかな気付けないし、そのキッカケとなった郷土史冊子「あしたづ」と出会わなかったら知る事はできなかったのです。

またひとつ、大阪を深掘りできたとうれしくなり、機会があればランチがてら訪ねてみたいなと思ってしまいました。


グレーM


「あしたづ」とは主に大阪府東部・河内の郷土誌です。

河内国

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