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「心を開く」自分の心を自分で覗く?

こんにちは~。ちせです。
今回の記事は「心を開く」をテーマに書いてみようと思う。

みなさん、「心を開く」というワードを聞いたときに、開く対象にはまず誰を思い浮かべる?
家族?親友?パートナー?上司?
きっと、自分以外の誰かを思い浮かべた人が多いんじゃないかな。

でも、今回私が対象とするのは「自分自身」
心を開いて、その中身を自分自身が覗くことについて考えてみるんだ。

参考にするのは、Jay Shetty著の
『THINK LIKE A MONK-モンク思考 自分に集中する技術-』という本。

結論、この本は①手放す②成長する③与える
という3つのステージにてインドの僧侶が実践する思考法がまとめられているものなの。
分厚いけれども、面白く、ためになるので是非読んでみてね~。

それはさておき、「心の中を自分で覗くってどういうことなんだろう?」と疑問を感じた人は一定数いるんじゃないかな?

ここでヒントとなるのは、①手放す ということ。
自分の感情と自分自身を切り離して考えるんだ。

下の図が分かりやすいかな。

自分と心を切り離す

あくまでも、自分自身と感情が一緒なのではなく、
時や状況に応じて生じる心の反応と自分を切り離して考えるんだ。
実際、本にも以下のように書いてある。

感情は自分が感じているものであって、その感情=自分自身でなはい。

Jay Shetty(2021)

どう?イメージついたかな?
何故、「自分と心を切り離す=手放す」ことが大切なのだろうか。
それは、今生じている感情は一時的であって、決して自分自身ではないという視点は、
その感情の正体や自身の置かれた感情を客観的に見つめなおす余裕ができる(Jay,2021)からなんだ。

恐怖や不安というネガティブな感情は、特に自分と同一なものとしてみなしやすいよね。
しかし、それは自分自身に劣等感を感じさせる要因となるし、あるいはそれを心の奥底に閉じ込めようとする行為を生み、余計にネガティビティと立ち向かうチャンスを喪失させると思う。

だから、「私は今この感情を感じているだけ。」という視点をもつことが大切になる。

「自分と心を切り離す=手放す」ことで、客観的にその心の中身を自分自身で覗くことができるようになる。

この考え方は私にも大きな影響を与えてくれていて、手放すことで自分の心はともかく、考えや経験を客観的に観察しやすくなってきている感覚を得やすくなったの。(1カ月ほど意識してみたんだけど、自分でも驚くくらい。)

だから、心と自分を切り離す、手放す、執着をしない
こういうのは感覚やイメージで意識するだけでいいと思う。
なんとなく意識して、なんとなく実践してみるくらい。

他人になかなか心を開けないと感じる人もいると思う。
そういう時は、自分の心を自分でこっそり覗いてみるのはどうかな?

もちろん、他人に心を開くことは共感や新しい考え、価値観を得ることが出来る点で有意義になものとなりうる。けれども、自分で心を開いて客観的に観察することで学べることも多いと思うな。

結局は、自分の開いた心の中身を誰が覗くのか、観察するのかの違いだと思う。他人が観るのか。それとも自分が観るのか。
まずは、心を客観的に捉えることに意義があると思うな。

さて、今回は「心を開く」をテーマに自分の心の中身を自分で覗くことについて書いてみました。

自分と心を切り離すことは、なかなか難しいことだよね。
それでも、もっと素敵で成長した自分になりたいので、これからも学びつつ、少しずつでも意識しながらチャレンジしていきたいなと思うよ。

ここまで読んでくれてありがとう。

ちせ


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