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しばらくSNSの投稿を休むと、余計なことを考えて書けなくなる件

おひさしぶりです、ちさとです。

夫の事業の決算業務が一段落し、税理士さんにパスすることができましたので、少し心の余裕ができました。
とはいえ、引き続き私の仕事や勉強などでバタバタしていることに変わりないのですが。

そんな中、仕事・プライベートに関わらず、SNSの投稿がお留守になっていました。(noteもですね)
そして、どんな理由であれ投稿がしばらく滞ると、何を書いていいかわからない、どう書いていいかわからない、というモードになります。
これは毎度のことです。

書けずに人の投稿ばかり見ていると、どんどん焦ってきます。
世の中動いてるなぁ。
楽しそうだなぁ。
充実してるなぁ。
すごいなぁ。

それに比べて私は……

人と比べても意味がない、私がその人のその状況と全く同じ状況、気持ちになることはあり得ないのだから、本当に意味がないのです。
分かっているのですけど、何かモヤモヤと心の中で嫌なものがうごめくのです。

それから、勝手に傷つくこともあります。
持論を述べる方。
経験したことから学んだことを記録として書く人もいる。
それは私もやっていることです。
でもそれを読んで、自分の何かに触れてしまって、勝手に落ち込むこともあります。
考え方は人それぞれですから、そういうことが起こるのは当たり前とも言えます。

まるでルーティンのように投稿している時は、あまり考えないでポチっと投稿してしまうのです。
でも、一旦立ち止まると、自分が書いたことで誰かを傷つけたり、嫌な気持ちにしたりするのではないか、そして自分が否定されたり嫌われたりするのではないか、などと考えてしまう。
そんなこと言いだしたら、何も書けないですよね。
だって、ネガティブに受け取る方は、どんなことを書いたって勝手にネガティブになってしまうものだから。
自分のことを考えたら分かります。

こうやってここに書いていることだって、誰かに嫌な思いをさせているのかもしれません。

でも、プライベートはともかくとして、仕事上の発信はしなければいけないので…
少しずつ書いているうちに、また以前のルーティンに戻っていけるのかな。

そして思うのは。
誰も傷つけずに生きていくことなんてできないということ。
わざわざ傷つけるための言葉を綴る趣味はないけれど、もし意図せずとも誰かを傷つけてしまったとしても。
発信をするという行動を選んだからには、それも覚悟の上で、それでも自分が伝えたいと思うことを信念をもって発信するしかないのだろうな、と。

そこがぶれない、強い心を持ちたいなと思いながら、歯磨きをしました。
まだやらなければならない課題が残っていますが、頑張って片付けて寝ます。
長いつぶやきのような記事にお付き合いくださり、ありがとうございました。
読んでくださったあなたに、心温まる時間が訪れますように。

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