古典に落ちこぼれた私が枕草子を読めた理由
橋本治の本はほぼ揃った、と前回書きました。
もちろん、目的はあくまでも読むこと。集めることが目的ではありません。
なぜ入手しなければならないのか、図書館ではダメなのか、理由はあります。
・返却期限を気にせずにゆっくり、自分のペースで読みたいから。
・どこに行くにも持ち歩いて読み、ドッグイヤーも積極的にするため、ボロボロになってしまうから。
・橋本治を研究するためには横断的に読むことが必要だから、今読んでいるもの以外の本もすぐ取り出せる場所に置いておきたい、などが理由です。
肝心な「読むこと」について、一年めは読む順番を決めていませんでした。
10年前に初めて橋本治に出会ったときに読んだ本50冊以上のうち、強く印象に残っているものを中心に再読していきました。
具体的には、橋本治の作家デビュー作である「桃尻娘」シリーズ全6冊(三回は回してる)。シンデレラボーイ・シンデレラガール、親子の世紀末人生相談(のちの青空人生相談所)、恋愛論、虹のヲルゴオル、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件、小林秀雄の恵みなど。
橋本治が亡くなったあとに新刊で出版された「草薙の剣」や「ぼくらのSEX」、「そして、みんなバカになった」は出版記念ということで発売後まもなく読みました。
三島由紀夫没後50年だったから「三島由紀夫とはなにものだったのか」を読んだり。
手当たり次第に読むスタイルでしたが、やがてそのやり方に疑問を覚えるようになります。好きな本を読んでいるだけでは橋本治オタクで終わってしまう。何年かかってもいいから橋本治を全部読んで研究をしたいのならば、目的意識を持ってカリキュラムを組んだほうがいいのではないか?という疑問です。
橋本治にはいくつかの大きな仕事があります。
なかでも私が重要と考えるものが、古典の現代語訳です。作家として円熟期を迎えた橋本治が最も力を入れていた仕事でもあります。「橋本治を研究している」と言って古典を読んでいなければ恥ずかしいとも言えるような位置付けと私は捉えています。
ただ、学生時代の古典への苦手意識が大人になっても払拭できず、10年間で二度「桃尻語訳枕草子」に挫折している私からすると、古典に挑むのは「腰が重い」の一言でした。
でも、「問題発言」などのエッセイを読んでいても、「『わからない』という方法」などのビジネス新書を読んでいても、折に触れて古典、特に最初の仕事である「桃尻語訳枕草子」への言及があり、無視できない存在になっていきました。
一年間自由に橋本治を読んできて、ちょうど年末年始の時期(2020―2021)、目標を定めるにはうってつけです。
2021年からは古典を読む。まずは「桃尻語訳枕草子」上中下巻を読み通すことを決めました。
橋本治は責任感が強く親切だから、古典の門前でウロウロするだけの私のような落ちこぼれに手を差し伸べてくれるような本があります。
代表的なのは「これで古典がよくわかる」「古典を読んでみましょう」の2冊。
ほかの本も読みながら準備運動をするように2冊を読み終えた頃、ゴールデンウィークになりました。
「ゴールデンウィーク中に上巻だけは読みたい」と目標を立てたところ、5月中に上巻から下巻まで3冊を読みきることができました。
2回も挫折したとは思えないくらいにスムーズに、しかも面白く読めました。それはおそらく前述した2冊で古典への道筋をつけられただけでなく、この10年間で私自身が人生のままならなさを知ったからだと思います。枕草子を書いた清少納言もままならない人生を生きた一人の女性で、私は「桃尻語訳枕草子」を読みながら、深い理解者を得たように感じていました。
橋本治の古典訳を読む入り口として「枕草子」が良い理由があります。
「桃尻語訳枕草子」は原文の訳の間に膨大な註釈が入る構成になっています(だからこのボリューム)。註釈も清少納言の一人称のかたちで、平安時代の文化・風習、衣服の仕組み、建物の構造まで詳細にわかりやすく書かれていて、イラストもあるせいか文字を読んでいるはずなのに動画を観ているかのように空間をイメージできるようになっているのです。
だから「桃尻語訳枕草子」を読んで平安時代をイメージできることによって「窯変源氏物語」が読みやすくなるというメリットがあります。
いま私は「窯変源氏物語」を読んでいます。7月から読み初め、3巻が終わるところ。今年いっぱいをかけて、全14巻を読了する予定です。
古典を読むために準備運動の2冊が有効だったように、源氏物語の前に「源氏供養」上下巻を読みました。源氏物語が終わったらいよいよ「双調平家物語」。同じように準備運動のように「院政の日本人」「権力の日本人」を読みます。平家物語(全16巻)は来年いっぱいかかるかな、と思っています。
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