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【悲しみの取り扱い方】

私は感受性が豊かだ。
嬉しい時は最高に嬉しいし、悲しい時は落ちるところまでおちる。笑
嬉しいことも悲しいことも、思いっきり感じたら、「あーそっか❣️」って気づきがもたらされて、ぱぁーっと晴れてすすみ出す✨

迷宮入りしてぐるぐるし続けて、「もうわからんー。」ってお手上げ状態になる時もあって、そこでやっと状況を人に話すと、「出口こっちだよー」って教えてくれる人がいて、「あっ出口ってそこだったのかー。そっちの方向にすすんでいけばよかったのね!」ってなる人。笑
そして嬉しい時も悲しい時も勝手に涙が出てきたり、心の琴線に触れるような心が震える出来事が起こると泣く。

まるで子どもと一緒。笑
これに付き合ってくれてる方々には感謝しかない👏💕笑 いつもありがと😉💓

【もう泣かないと決めること】

そんな私なんだけど、
ある人と話していた時に、「学生の時にもう泣かないと決めたら他の感情もなくなってしまった気がする」という言葉を聞いた。その後も何度も私の頭の中でその言葉が出てきた。

人は大人になっていくと共に涙を封印していく人が多い。
泣かなくなるという状態になるために「悲しみは感じないようにして泣かないようにする」という方法をとる人が多いのだと思う。
この感じないようにするが強くなると他の感情も麻痺させてしまうことがある。

私は小中高とあんまり学校で泣いた記憶はないんだけど、看護学生の時の実習終わりの面談ではよく泣いていた。どうして泣いているの?と聞かれてもよくわからない涙。
自分が悲しいのか嬉しいのかなにをきっかけにして泣いているのかすらわからない涙。だからそんな自分に対してすごく困っていた。泣かないようになりたいと思った。けど、3年間無理だった。
でもその時涙を封印しなくてよかったなと今では思っている。

【悲しみは感じないようにしても存在し続けている】

「泣かないようにすること=大人になること」にしてそこを目指してしまうと、悲しみを感じないようにしてしまう。
ただ、ここで「悲しみを感じないようにする」ということは表面的に感じないように麻痺させることは可能であっても、「悲しみ自体はちゃんと存在している」ので、その悲しみをもっているとそれが元になってあらゆる現実を引き起こされる。そしてそれが身体に溜まると身体の不調や病気にもつながっていく。

私も封印させてきた悲しみを持っていたなと思う。今でも持っているものもある。それはずっと封印させていきたいわけでもない。でも封印しなくてはいけないと思うものもあった。
私が出来なかったから、私が悪いから、そんな罪悪感がくっついていると、だからしょうがないとその悲しみは蓋が開きっぱなしの箱に入れてしまうのだ。そしてことあるごとにそこから顔を出す。
これが、
相手が出来なかったから、相手が悪いから、そんな気持ちでいると悲しみはダンボールの中に封印されガムテープが貼られ、怒りというラベルが貼られるのだ。だからそれを思い出す度にイライラすることとなる。

【悲しみは存在しない方がいいのか】

私は昔そんな悲しみは存在しない方がいいのではないか?と思うこともあったり、悲しんでいる人は元気になった方がいいなと思って元気になるようにと接したこともあった。けれど、悲しみにはちゃんと役割があるということがわかってきた。そして悲しみの取り扱い方がわかっていたら、自分の最高の味方になるということも知った。

【悲しみの取り扱い方】

悲しみの取り扱い方は「悲しい」ことがあった時に、
それを自分で感じて「それは悲しかったね。」と自分自身に寄り添ってあげること。
そして、それを信頼できる人に話して「それは悲しかったね。」と共感してもらうこと。
だと思っている。


この自分自身と悲しみを分かち合う、信頼できる人に話して悲しみを分かち合ってもらう。それを何度も繰り返ししていくことで自分への信頼、周りの人への信頼は高まっていく。そして自分に対する私が私であっても大丈夫なんだという確信は深まっていく。

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気持ちをわかってくれて嬉しいのは子どもも大人も一緒だなということは子どもとも大人ともおじいちゃんおばあちゃんとも、たくさん接してきたからよくわかる。
悲しみは、分かち合っていこうね。
そしたら悲しみは役割を終えて、光が差し込むからね😊🌠悲しみも大切な感情のひとつとして愛おしく思える日が来るようになったらいいね✨

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