見出し画像

#カワイクイキタイ 0「ご挨拶」

https://www.instagram.com/cawaiki/

日常、ときどき、ヘンテコ🦄
どんな時も人生はカワイイ❤️‍🩹

役者×カメラマンの
フォトエッセイ『#カワイクイキタイ』
model :https://www.instagram.com/chisako_fujii/
camera :https://www.instagram.com/mizuo_camera/

2023年2月2日から、フォトエッセイ『#カワイクイキタイ』をこのnoteのマガジンで連載します。まずは一年。もしかするともっと続くライフワーク的なものになるかもしれないし、モデルが私じゃなくなって企画だけ遠くに歩き出すかもしれない。最初から「最終的にはこうします」って決めてその通りになったことないし、しらない場所の散歩はたのしみたい派です。

これまた誰かにお願いされたたくらみではなく、やりたいからやろうのやつです。やりたがりでごめんなさいね。でも、どんなものも最初は小さな規模ですし、なにが誰にどう届くかなんて全然わかんないし、勝手にやってみます。そういえば、誰かがなにかはじめたら面白くないこと言う人がいるけど、あれなんなんだろうね暇なのかな。

写真を撮るのが得意な水央ちゃんと、撮られるのが苦手ではなく文章を書くのが好きな私がたまたまいて、たまたま仲が良くて、たまたま二人ともなんかやりたくて、たまたまお互い「あんたなら大丈夫そう」って思ったから実現した。たまたまが何度も重なることを人は必然と呼んだりするって土井善晴が言ってました。嘘です。

水央ちゃんは、映像作家・カメラマンをしている同年代の女の子です。作品のモデルに度々起用してくれていて、以前からなかよくしてくれているクリエイターです。こちらからもSHIMAISHIBAIのアー写や公演のビジュアル撮影をお願いしたり、プライベートで写真撮って遊んだり、公私ともになかよしな人です。

この『#カワイクイキタイ』で私は「人生ってかわいい」ってことを写真と文章で形にして残してゆきたい。誰かに教えたいんじゃなくて、私自身が忘れたくないからです。たまに修行と勘違いしそうになるけど、ほんまはかなしい事があった時もうれしい事があった時とおなじなんですよね。

その境地に今世では達せそうにありませんが、ほんとはね、という事なんです。ほんとはどんな時もたのしみたい。ほんとは常に前向きでパワフルでいたい。ほんとは弱い自分を許されたい。ほんとは泣きたい。でも泣いてるところを見られたくないのはなんでなんでしょう。がんばって耐えるのは誰のためなんでしょう。

普段、私は役者という仕事をしています。人前に出る時は、だいたい別の人間だったり、藤井千咲子として出る時もメイクして髪の毛をきれいにしてオンの状態でいます。嘘なわけではないんだけど、がんばり中です。そして、誰が見ても問題ない姿っていうのは、誰でも見ることができる姿でもあります。

この『#カワイクイキタイ』の話が出たころ、私はでっかめの失恋をしたばかりでございました。けっこうな年数を過ごした恋人と、方向性の違いから解散したばかりでした。解散には納得してるのでヨリ戻したいとかではないんですけど、落ち着いて心が凪になったある日、なぜかとんでもなく淋しい気持ちになりました。もう誰でも見ることができる私の姿を見る人しかいないのか、と思って。

半目で寝ていたり、毛玉のついた部屋着を着ていたり、パックしながらYouTubeを見ていたり、前髪を全部あげてひどい顔でパソコンに向かっていたり、「できない!書けない!覚えられない!」と言っても仕方ない泣き言を言ったり、愚痴や文句を言ったり、泣いたり、前歯に海苔がついてることだってあるかもしれない。

そういう姿を知ってほしいわけじゃないけど、そういうとても見せることができないような姿を見ていてくれる人、見ても嫌いにも好きにもならずそのままで居てくれる人、なんなら笑ってくれる人。解散した元恋人がそうだったとゆう話ではなく、そうゆう存在になり得た他人がこの世にいなくなってしまったんだなと思いました。もう両親以外思い浮かびません。

「なんかそれが淋しいねんなぁ」と水央ちゃんに話したら、そうゆうがんばっていない姿を撮りたいと言ってくれました。そうゆう姿がいちばんかわいいとも。物好きだなと思いましたが、水央ちゃんになら見せられるかもしれないし、そう思ってくれている人が撮った自分をちょっと見てみたいとも思いました。

ちょうど、背伸びをしていないまとまっていない文章をいつかどっかで書きたいなと思っていたころでもありました。痛々しい歌詞がメロディに乗るとびっくり美しくなるのと同じように、もし痛々しい文章になってもそういう写真が添えられていたら見れるものになるかもしれないなと思いました。

もともと、魚喃キリコや岡崎京子を好んで読み、「もっと普通の恋を歌えばいいのに」でおなじみのクリープハイプやセックス言いまくるミドリや、椎名林檎や銀杏なんかを聞いて育った人間でして、人間を感じられるものがすきなんだと思う。おばあちゃんが見たら悲しませてしまうような立派じゃないもの。てか痛々しいって誰の感想ですか。普通にって言われてもどれが普通なんだろ。変とかめんどくさいとか痛いとかって見る側の問題で、私は思ってないし大真面目だからなあ。

がんばらない人の日常に、普通って言われても知らんしな気持ちとポップさやダークさをちょっとヘンテコな事で足しまして、その写真に文章をのせる企画です。

いろんなタイミングがちょうどよくて、私はうれしい。フォトエッセイと書いてはいますが、並べた時に歌詞カードのようなものになればいいなと思っています。ブログのような文章は個人のnoteで書けるし、漫画のふきだし以外の部分、詩と手紙の間のようなもの、歌詞が例えとしては近いです。

もう何回か撮影を済ませていて、回を重ねるごとに写真が素晴らしい。こんな風に自分を撮ってくれる人がいるなら、もう淋しくないなって思ってます。水央ちゃんの写真を見てほしいのでできるだけ続けたいな。

2.2に一回目を出して、週一ペースで更新します。興味があったら見てください。それでは、これからよろしくお願いします。

いつも読んでくださりありがとうございます。 サポートしていただけたらとってもとってもうれしいです。 個別でお礼のご連絡をさせていただきます。 このnoteは、覗いて見ていいスカートの中です。