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本当とか嘘とかどーでもいいんだけどさ

本当のなになにとはかくゆうものである。なんて、バカデカ主語でやんなっちゃうわね。

本当か嘘かはどうでもいいんですけどさ、自分が大切だと思うものは信じられる。面白いのが、欲しくて力任せに引っ張ったり人から奪ったものより、自然に私のもとへ流れてきて受け入れたものの方が圧倒的に美しく大切なことが多い。よくできてるよなと思う今日このごろ。出会い。人との関係。環境。悲喜こもごも。

出会ってしまったものを出会わなかったことにはできない。一度見たものを見なかったことにはできない。知ってしまったものを知らないことにはできない。受け入れるしかない。
だってそれ、出会いたくて見たくて知りたくてそうなってるから。私が求めたから来てくれた。そう思うと、受け入れない選択肢なんてない。大切にする。ありがとう。

本当の出会いとは約束事ではないらしい。「ずっと一緒にいようね」とか、「一生そばにいるから、一生そばにいて」とか、「一生離れないように、一生懸命に」とかではな、間違って菅田が流れてしまいましたね、失礼しました。

そうゆう、約束ではないんだって。言葉は美しいし、約束は安心する。でもいちばん大切なことではない。いちばん大切なことは、その人を大切に思い、大切にすることそのものなのかもしれない。

もともと、戦うことがすきじゃない。人を傷つけるのも嫌だし、傷つくのも嫌だ。攻撃も防御もしたくない。この世が弱肉強食なら、私は別に肉でいい。食べたかったら食べてもいいけど、毒入ってますよって話なだけで。

自分から激しい何かが出てる時の方が無理してたんだと思う。最近、誰に対しても何に対しても無理してないです。うまくやろうとしなくなった。無理したくないな、自然体でいたいなと思ってたから、しんどくなくていい感じです。

自然体だって、他人から見たらそこそこ変だ、絶対。なのに、さらに頑張って無理してる時かなりギシギシいってる気がする。ずっとやめたかった。誰かが私を嫌うも好くも、私の手の届くところにない。諦めるんじゃなくて受け入れる。私の大切なものを大切にする。とってもシンプル。

派手さも激しさもないけど、人生はショーじゃないからこれでいい。ディズニーもいいけど、ジブリの方がすき。

書きたいことがある。だから書くのが苦じゃない。でも書きたいことがない時は絶対に書けないし、書きたい事があってもどう書くか定まってないと全然進まない。本は読みたくなった時が読む時。読んだ方がいいと思って読むものじゃない。音楽も聞きたくなった時に聞く。会いたいと思う人に会う。

ハローこちらは7月27日。脚本、あとは書ききるだけのところまで固まって、顔合わせもして、みんなにこんな事がやりたいと思っていますと話した。まだたくさん話さないといけないけど、楽しくいいものを作れる気がする。ねえこれ、無くなっちゃわないですか。もしもし9月。無くなっちゃうなら、なんのために創るんだろう。私は芸術家じゃないから、描いた絵は見てもらいたいよ。

自分の仕事だしやりたくてやってんだから褒められたいとは思わない。別に褒めていらん。見てもらえなかったら全く意味がないとも思わない。でも、わけはわかんない。多分泣いてしまうと思うけど、何の涙なのかもよくわかんない。

やるべきことをやるしかないんですけど。納得できるようにはしたいな。どうなっても受け入れられるようにはしてゆきたい。私を思ってくれる人からお守りでもいただきたい気分だわ。神より強いから。

人や、人が作ったものに傷つき、その何倍も救われる生活でござらい。ありがとう私の大切な方々。すきな人にまた会いたいから生きる。健康でいてほしいし、笑っててほしいし、私より先に死なないでほしい。たのんだぞ(と、言いながら薄くなり消えてゆく)。


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