今日をどうして生きていけばいいか分からなかった。だけど、書くことで、救われた。
毎日ひとつ、これまでに1,000人の先人から学んだ『人生のコツ』を伝え続けている ” たくちゃん ” こと 野澤卓央さんをご存知でしょうか。
ノートに書きためた尊敬する人々からの教えを、無料のメールマガジン(以下、メルマガ)で毎日配信し続け、5,000日を超えました。約20,000誌のメルマガの中でも、知識•ノウハウ部門の1位に選ばれ、6冊の書籍として出版されている「小さなコツの専門家」です。
このメルマガを読むことが、毎朝顔を洗うのと同じように、生活のリズムの一つになっている人も多く、今では日本全国、さらに海を超え中国での講演会や企業研修、コツを教える塾を開くなど、幅広く活躍する方です。
そんな彼にも、今日をどうして生きていけばいいのか、分からなくなった時期が、何度もあったと聞きます。
いったい何が起きたのでしょうか? たくちゃんに話しを伺いました。
〈大学生時代の写真:やりたいことを見つけにアジア一人旅へ〉
はじまりは、こんな失敗から。
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小学校から高校までは不登校や荒れた学生時代を過ごし、大学では、アジア一人旅に出かけたりして留年に。7年をかけてようやく卒業。
やりたいことがわからないのだけど、「もう逃げたくない!」と心に決めて日本に帰り、なんとか名古屋の青果市場の仕事に就いたのだそうです。
だけど、そこでまっていたのは、与えられた仕事に合わせることができず、頭痛はするし、物忘れがひどく、怒られる日々。ある上司からは、「首からノートを下げておけ!」と言われる始末でした。
なんとかしゃなきゃ!と必死で始めたのが、”ノートにメモをすること ”です。たくちゃんは、本当に首からノートを下げたのだとか。
はじまりは、言われた仕事を忘れないよう、必死に書き留めるためのノート
しかし、ここでの仕事はうまくいかず退職へ。その後も、次々と仕事を変えることになりました。どこを目指したらいいのか、どうしたらいいのか分からず、パソコンやスキルアップの勉強を頑張ってみるのだけど、報われないという日々がつづきます。
この頃のノートには、失敗や悩み、うまくいったことや気づいたことを書き留めるものへとなっていたのだそうです。
そんな折、美容業界で成功していた高校時代の友人に誘われ、美容院向けの商材販売部門の仕事に就くことになります。
売る商材を探すところからはじまり、最初は100円を稼ぐのも難しい状態だったとのこと。
「僕は、売るものがないから、業界最高峰から学ぼうと思いつき、名刺を持って日本中の超有名な美容院への飛び込みをはじめたんです。」
「美術館にくるようなつもりで来ました!最高のものを見たくてきました!って飛び込みしてたんだ」とたくちゃんは言います。
自分の給料分くらいは稼がなきゃ!と、とにかくできることを必死にやり続けていったんだそうです。
そのうちに、本当に売るものもなく飛び込んでくるたくちゃんを面白いと思ってくれる人があらわれ、その人からどうやって店を繁盛させたのかを聞いて、ノートにメモをする日々が始まったのだとか。
ノートには、繁盛のコツが書き留められていきました。
やがて、ご縁からある商材の販売権を獲得。全国の美容院へ向けた商品案内のダイレクトメールには、これまでに教わった繁盛店のコツを載せてお届けしはじめます。その小さな繰り返しは実を結び1年1ヶ月後には月1,000万円の売り上げを達成したのだそう。
ようやく、人生に日があたりはじめます。
たくちゃんは、さらに、もっと、もっと、チャンスをつかみたいという思いが募り、経営の勉強会にも参加し始めたんだと言います。
ノートには、他の業界の経営者から教わったことや、人の心理に関することも学びどんどん書き留めていきます。だけど、ふりかえると、これが「深い闇」への入り口でもあったと言います。
経営の勉強会へ顔を出す内に、ある事業プランに出会い、それをスタート。結果は大失敗で、なんと1億円の借金を個人で背負ってしまったのです。
今日をどうして生きていけばいいのか、分からない日々が再びやってくるのです。
「当時は、どう考えても、1億円もの借金を返す方法が浮かばず。自分が死んで保険金で返すしかないと思ったんだ。だから、朝に家を出るとき、これが最後だと、生まれたばかりの子を何度も抱きしめた日もあった」と、たくちゃんは話してくれました。
そんなときに、救いになっていた、1冊の本がありました。ひすいこたろうさんの「3秒でハッピーになる名言セラピー」です。
普段、本を読むことはなく、苦手にさえ思っていたのだけど、ふと、これなら読めそうと、立ち寄った書店で手にとったんだそう。
ファンになったたくちゃんは、ひすいこたろうさんのメルマガの中に「名言募集します!」を見つけ、投稿するようになります。
なんと、投稿したネタが採用されて本に掲載されます。そのお礼にと、招待された出版記念パーティーで、たくちゃんはひすいさんご本人と会うことができたのです。
ひすいこたろうさんは、サラリーマンから作家になったこんな物語がある人です。
ゲーテは一目惚れした女性に1,800通のラブレターを贈ったという話がある。ひすいさんはそれを知って、心を込めて1,800通もラブレターを書いたから、ゲーテは天才になれたんだと思ったのだとか。だったら「自分はゲーテを越える!」とまずは、自分で「天才コピーライター」と名乗り、1,800通以上の心を込めたメルマガを送ると決めて配信を開始。毎日書き続け、1,000本のメルマガを達成したとき、それが「名言セラピー」という1冊の本となったのだそう。
パーティでは1対1で直接話す機会があり、たくちゃんは、コツを書き留めているノートのことを話すことになります。そのノートをみた、ひすいさんは、メルマガに書くといいよと勧めてくれたのだそうです。
「なんでもいいんだけどね。心を込めて1,000日やると運ばれるよ。」ひすいさんのこの言葉が心に刺さったのだとか。
そこで、「僕には、今まで悩んだことを、あらゆる人に会いに行って学んだことがノートにはたくさん書いてある。それを毎日ひとつ書いて1,000日メルマガを配信しよう!」と決意するのです。
ノートに変わって、毎日、人生のコツを、メルマガに書きはじめました。
「借金を抱えて、今日、死ぬかもしれないと思った日もメルマガに書いた。1行しか書けない日もあったのだけど、1人でも読んでくれる人がいるのが嬉しくって、書いたんだ。」とたくちゃんは言います。
それは、こんなことがあったからだそう。
ある日「もう無理だ!苦しくって続けられない!」もう書くのをやめようかと思ったとき、メルマガ読書の方からこんなメッセージが届いたのだそうです。
「野澤さんの話に勇気づけられ、救われました。」というお礼のメールが来たそうです。こんなメールをもらったら、やめられない!と、またメルマガを書くのです。
〈メルマガ2,000日達成記念の写真:メルマガファンとのお祝い会〉
気づけば、メルマガの投稿は、1,000日を超えます。それでもさらに、心を込めて書き続けると、メルマガ読者の間で、応援したいという人たちがあらわれました。そして1,500日を前に、本を出版したいという出版社があらわれて書籍化されるのです。
やりたいことを探しに旅に出ることや、背伸びをして実力以上にやろうとすることも必要だったかもしれない。だけど、”ありのままの自分で、ハートが求めること” をただ心を込めて続けていたら、やがて、日のあたる場所になっていたのです。
〈講演会を始めた頃の写真〉
彼の人生を聞いていると、ふと思い出したことがありました。
好きな芸人ランキング3年連続1位の漫才コンビ、サンドウィッチマンが出演したTV番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」をみていたときのことです。東北の大震災から3ヶ月後には、漫才やコントを現地で届けはじめ、それは今もなお続いています。
彼らが当時を振り返って語った言葉が心に残っていました。
「仮設住宅から出てこない人がいる、そっちの方が気になる。出てくるまで何年かかるだろう。なにもなくなったとしても、あきらめないで欲しい。」
「考えて考えてよかれとやったことも間違ってるかもしれない。でもわからない。正解なんて知らない。だからできることをやるしかない。」
サンドウィッチマンは、コンビ結成から脚光を浴びるまで、20年近くかかった人としても知られている、あきらめない人たちです。彼らだからこそ、今日をどう過ごしていいか分からなくなった人の心に言葉が届くのだと思います。
たくちゃんの言葉も、サンドイッチマンの二人と同じ、人の心に優しく響きます。あなたも、たくちゃんのメルマガ読んでみませんか?
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面白い仕事をつくる人=心を込めて恩送りする人
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野澤卓央くんのメルマガは、5,000日を超え「小さなコツ」として伝え続けています。今では、人だけでなく、自然、地球そのものへの恩送りもはじめています。現在の活動をご覧ください↓↓↓
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