母から教えられてきたことは 母がその母から教えられていたことでした
実家はとにかく物が多い
母は 人から何でも貰うし、どう見てももう使わないガラクタやゴミみたいなものも取ってあるし、ストックとはとても言い難い 新品のまま古くなってしまったものもたくさんあったりして、とにかくいらないもので溢れている
いや、百歩譲って 母にとっては必要なものだったとしても 呆れるほどに溢れすぎてる
その母が亡くなってから少しずつ片付けているのだけれど 一向に先が見えてこない
片付けながら「んも〜」「また〜」「なんなん〜」「どんだけ〜」を繰り返して、だんだん腹も立ってくるけど、そのうちにそれも通り越して笑えてくる
「んもーー ほんまこれ なんなんーーー」
いっそのこと まるごと捨ててもう終わりにしてしまいたいけど、時々 思いもよらないところから面白いものや大事なものが出てきたりもして
やっぱり、ひとつひとつを丁寧に開いて確かめながら整理していく必要がありそうで
当分先は見えそうにない
*
それは母の嫁入り道具の大きな箪笥の中の小さな引き出しから出てきた
母の箪笥なんて 今まで開けたことがなかった
箪笥の中も 当然のようにぎっちりと埋め尽くされていた
けれども その上部に備わった小さな引き出しには いくつかの物しかなくて、その空間はなんだか少し不思議な感じだった
そこを開けて目に入った赤いリングケースは、むかし母が見せてくれたことがあった
父から贈られた婚約指輪は その時デザイン違いのものが二本並んで入っていて、お父さんやるやん 男前やん 頑張ったやん なんて思ったりした
けれどそこには指輪は 一本しかなくて、探してみたけれど見つからない
母も身につけていなかったから またおかしなところからひょっこりと出てくるのかもしれない
そのリングケースの下に『 お二人へ 母より 』と書かれた手紙らしきものが隠れるようにしてひっそりと息を潜めていた
封筒には入っておらず、便箋でそっと包まれてあった
紙は少し黄ばんで染みもついている
きっとずっとそこに眠っていたのだと思う
一瞬、母の遺言だったりしてなんてドキッとしたけれど そんなはずはない
少し戸惑いながらゆっくりと開いた
四つ折りになった 罫線だけの飾りけのない便箋
そこにならんだ字に 昔のおばあちゃんの年賀状が蘇った
紛れもなくそれはおばあちゃんの文字だった
そこには、嫁いでゆく娘へのメッセージと教えが一枚に綴られていた
それは、わたしが母から教えられてきたことだった
人を信じること、自分を信じること
人を裏切らない、 傷つけないこと
心ない嘘をつかないこと
真心と感謝と笑顔を忘れないこと
人は ひとりで生きてはいない
人がいて そのおかげで自分がある
人生にはいろいろなことがあるけれど、心を寄せ合えたなら それはとても幸せなこと
人の気持ちを考えて大切にしなさい、それは自分を大切にすることになるから
「人間関係は信頼関係や」
「なんでも気持ちが大事やねん」
そうか、おばあちゃんの教えを繋いでくれていたんだ…
そう思うと涙が溢れた
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信頼…
信じることは どこか不安を孕んでいたりもするし、疑うことよりもずっと難しいことだと思います
もし、1%でも信じようとする気持ちがあるのなら、その相手は大切な存在だということです
どう頑張っても100%信じることができなくなった時には、その関係は終わるのだと思います
何でも壊そうと思えば一瞬で壊せてしまいます
捨てることも 失くすことも 諦めることも 消すことも、絶つという行為は一瞬のことです
けれど、形を残すためには 愛情と努力と道のりと時間への膨大なエネルギーが必要で
大切に守る、繋げるということは、壊す、絶つことよりもはるかに大変なことなのです
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わたしの思いや考えは、生まれ育ってきた環境の中で少しずつできあがってきました
みなさんも同じだと思います
それは、自分の周りの家族、先生や仲間などの言動や関わり、経験してきたさまざまな出来事から影響を受けています
もし人がそう言っても、そうしていても、自分はそうは思わなかったり 苦手だったり 受け入れられない部分だってあって、そんな気持ちもひっくるめて “わたし” という個性ができあがってきました
なので同じ考えの方もあれば、別の考えをお持ちの方もいるのは当然のことで
思いが違うのは少しもおかしなこととも悪いこととも思いません
どちらが正しいか、とかそういうことではなくて、自分の考えの及ばないお話や思いも教えていただけたら なるほどな、嬉しいな、楽しいなと思います
違いが相乗効果となって、新しい素敵なものが生まれたりもしますね
違いは違いでいいし、互いにいいなと思うところは更にもっと繋いで深めていけたらと思うのです
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“恩送り”という言葉をお聞きになったことはありますか
恩返しとは少し違って、受けとった恩をいただいた人へお返しするのではなく、その恩を別の人へ送ることをいいます
わたしたちの生活には、実はそういったものが溢れていて、知らない人ともいつの間にかつながって 支え合いながらなんとかやっと生きているのだと思います
祖母も母ももういません
恩返しはもうできません
なので、恩送り… そんな感じで
受け取ってきたことばや優しさ、そこから生まれてきたわたしの思いをみなさんへ
これからも心を込めて送らせていただけたらと思っています
そこに込めたメッセージを 必要な方に受け取っていただいて、また大切な誰かへと繋げていただけたりしたら…
それは素敵なご縁で とても幸せなことなのです
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母も結婚してから亡くなるまでの50年、辛い時には心の中でこの教えを何度も何度も繰り返して頑張っていたのだと思います
そしてわたしにも、母のことばで伝えてくれていました
わたしがここまで生きてこられたのも、心に刻まれた教えがベースにあったからかもしれません
これからも辛いときや悩んだときのお守りになってくれると思います
祖母にも母にも無断で、わたしの責任で、この手紙を公開します
きっといつものように「オッケ、オッケ〜!」「だいじょーぶぃ!」「うれぴーす」なんて言いながら、トレードマークの笑顔とピースサインで喜んで応えてくれるはず
そう信じて… ここに記します
どなたかの心の糧になりますように
どうぞよい一日を、よい一週間を
#106. 『 母の教え 』
⭐︎「かんたんに棄てたらあかん」と母は言い たしかに私も今日を生きおり
⭐︎あと何年かかるかわからないけれど わたしらしさを拾い集めて
ー ちる ー
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