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歌声 SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2023 @宮城セキスイハイムスーパーアリーナ 2023/11/18

「僕の声はよく浜田省吾に似てるって言われるから、浜田省吾の歌を聴いたら、僕のことを思い出してね」

カラオケで浜省の歌を唄った後に私の横に戻ってくると、彼は私の耳元でそう言った。

彼は生粋の省吾ファンだった。
ドライブでも、家でも、いつも省吾さんの歌がかかっていた。彼の歌う浜田省吾の歌は本人が言う通り、とても上手だった。

バブル景気後半に社会人になった私たちにとって、仕事帰りにカラオケに行くのは日課みたいなことで、そこで浜省の歌は、男性の同期や職場の人たちが必ず歌う定番だった。

私はその頃洋楽ばかり聴いていたので、「J.BOY」も「Money」も「もうひとつの土曜日」も、彼と付き合うようになるまで、カラオケで誰かが歌う曲しか聴いたことがなかった。

カラオケの最後の曲は決まって「悲しみは雪のように」だった。みんなで肩を組んで時にはなぜか涙を流し、大合唱になった。当時流行っていたドラマの主題歌で、これだけは私も浜省本人が歌うのを聴いたことがあった。

誰もが 泣いてる 涙を 人には見せずに
誰もが 愛する人の前を 気づかずに 
通り過ぎてく

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彼と別れてからは、聴く機会がなくなったので浜田省吾の音楽は私の生活から消えていった。でも、あの時彼のささやいた「僕を思い出してね」という言葉だけが、私の中に何かのしるしのようにずっと残った。

街中で省吾さんの曲が聞こえると彼を思い出すこともあったけれど、何年も経つうちに、思い出し方は「似てるなあ」から「こんな声だったなあ」に、そして「こんな声だったっけなあ」に変わっていった。

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今の彼と知り合ったのは、オフコースの曲がきっかけだったが、ある日彼が「俺、浜田省吾も好きなんだよね」と言った。私はただ、不思議だな、と思った。

省吾さんの声を聴いても、あの彼の声はもう思い出せなくなっていた。

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2023年11月18日、仙台。
ライブは17:00ちょうどに始まった。

テンポの良い曲がどんどん進む。圧倒的な音と歌声に、ぐいぐい感情が揺さぶられる。省吾さんは変わらない歌声を聴かせてくれていた。70歳とは思えないパフォーマンス。

音楽を聴きながら、どうして私は今まで浜省にハマることがなかったのか、わかった。彼の音楽は、言葉を選ばずに言ってしまうと「恥ずかしくて居心地が悪い」のだ。ふだんあまりきちんと向き合わない、けれど自分の中にある「愛」とか「情熱」とか「幸せ」とか「怒り」とか「みじめさ」とか「やさしさ」とか、そういうことを意識せずには聴けないから。

立ち上がって手拍子しながら体全体に音楽を浴びているうちに、それまで自分で見ないふりをしていた気持ちが、べろべろと剥がされていく気がする。

それは例えばただ単に昔の彼を思い出すとか、そういう単純なことではなく、自分がいつもはなんでもないふりをして生活しているのに、本当は泣いたり笑ったり、転んだり、もう立ち上がれないと思ったり、死にたいと思ったりした、そういう想いが、どんどん湧き上がってくるのだ。でも省吾さんの歌声は、そういう想いをひとつひとつ手に取って丁寧に埃を払って、きれいな布にくるんでくれるような気がする。今までの人生が間違っていようと遠回りしようと、すべてこれでいいと肯定してくれるような優しい声。そしてそれは、浜田省吾唯一無二の声でしかなかった。

センターステージで歌う「悲しみは雪のように」で、何十年も前の会社の人たちといったカラオケを思い出しながら、いつも彼が歌っていた歌がなんだったかさえ覚えていないことに気が付いたら、私に巻き付いていたあの言葉にもなんの意味もない、と思った。

もう、省吾さんの歌はただ省吾さんの歌として聴けばいいんだ、聴いていいんだ、心にストンとわかったときに「ラストショー」が始まった。あのときの彼の言葉が、確かに目の前で砕け散った。

泣きながら手がちぎれそうなぐらい振って、一緒に歌った。

さよなら バックミラーの中に
あの頃の君を探したけど
……
もう何も見えないよ
もう何も聞こえないよ
さよなら……

**************

外は寒かったけど、温かい気持ちになってライブを後にした。
帰り道で見上げた夜空には、きれいな星が見えた。

歩きながら彼が言った。
「俺、昔すごい浜田省吾ファンの彼女がいたんだよね」

なんだ、同じか!







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