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バランス

前回の更新日より、随分と日にちが経ってしまったので、リハビリがてらにエッセイでも書こうと思います。写真等は一切出てきませんのでご了承を。ただのエッセイです。

タイトルに持ってきた「バランス」。
大した意味もなく無作為に思いついたこの言葉について思うことを書き連ねていきます。

バランスとは何だろう。改めて考えるとわかっているようでわからない。人差し指に乗せたボールペンのバランスをとりながら考える。
「ペン先が重い方が書き心地は良いだろうな」
「ノックの音が心地良いのか、バネの反発が小気味良いのかどっちの理由で人はボールペンを弄ぶのだろう」
そんなことを考えながらボールペンを落とし、本題にまた返る。

ぼくたちクリエイターはインプットとアウトプットを繰り返している。
汚い話、人間は食べないと出るものも出ない。良いものを食べたからといっても、出てくるものは良いものではない。むしろ汚い。冗談半分だけどそれがぼくたち人間だ。アコヤ貝の様にはいかない。バランスが悪い。
Twitterのタイムラインには、インプットの記録を毎日上げている人も沢山見かける。それを見て焦りを感じ自らを奮い立たせる人もいるだろうし、どこかの誰かの言葉をさも第一人者かのように知識をひけらかしマウントを取り出す下の下のクリエイターモドキもいる。
Twitterは狭い。狭いがゆえ上にも下にもすぐに手が届く。それがTwitterだと思う。
フォロワーが多い方よりも、失うものが無いからかフォロワーが少ない方のほうが鋭利な言葉を使い人を危める。
Twitterは異常なバランスで保たれていて、それは強固で脆くて、見ていて胸が痛くも熱くもなる。
なのでTwitterを昔ほど考えて使わないようにした。昔に呟いていたチップスのおかげか三千超えものフォロワーさまがいます。この三千という数字を気にしないようにすることで、ぼくはぼくのバランスを保っている。数に惑わされず、驕らずに自分の等身大を理解しているつもり。今では日常を切り取ったもの程度しか呟いていない。

脱線どころか路線が変わってしまいました。

クリエイターにとってバランスとは何だろう。
レイアウトに重力を宿らせるのもひとつのバランス感覚だし、需要と供給のバランスを追い求めるのが利だと思ったりもする。
自分にとってバランスとは何なのか。
ぼくはいま、現代とニューエラとの支点になろうと考えている。どこに支点を持ってくれば滞り無くスムーズに力を発揮させることが出来るのか。それを追求している。

よく案件で専用書体を作らせていただくことがある。作業工数の面で言えばかなりの赤である。そんなことは関係ない。(こともないが。)
何故書体を作るのか。それはその会社なりブランドなりの器・声を作ろう、という気持ちから来るものである。作ったことによる成果を数字で出してみろと言われればそれは恥ずかしながらまだ胸を張れるものではないかもしれない。
ただ、ぼくは確信を持って専用書体を作っている。クライアントさまの血が流れ始めると確実にそれは武器になってくる。

初めて専用書体を作らせていただいたのはハンドメイドのアクセサリーブランドの案件。当時はロゴのみのご依頼だったが、話を聞き、課題を追求していくとロゴを作ることが正解だと思わなかった。
このご時世、ハンドメイドのアクセサリーブランドは五万とあると言える。ポップアップ等で展示会をするも目を引くものを見かけたことがない。それは何故か。商品以外のブランディングの弱さが如実に出るからだとぼくは思った。商品であるアクセサリーの次に目を配るものは何だろう、そう考えた時に「値札」だと思った。
値札は商品と顧客さまをコネクトするツール。その部分に意識を行き届かせることができたら良いのではと思い、それなら作家さんが簡単にカッコいい値札を自分で作ることが出来れば売り上げに繋がるのではないかという考えに至り、そこで専用書体と値札のみならずノベルティやDM、ポスターなど幅広く使うことを想定し組み上げたデザインマニュアル。今では雑誌に掲載されてたり芸能人の方が身につけてたりするのも見かけるほどのブランドになっている。もちろん元々のアクセサリーのデザインが良いのが功を奏している。

この案件でいうバランスは何に当たるだろうと考えた時にそれは「ブランドである」ということ、だと思った。
このブランドにはどんな器が合うだろうか。その器にはこれからどんなものが入るのだろうか。それらのバランスを考え専用書体を作った。女性的なフォルムを持つ小文字とジェンダーレスな大文字を作りブランドのアイコンとした。アクセサリーはこれからもっとアイコニックな時代に入ってくるだろうと思っている。そこの支点を作ることによりブランドにシーソーをつくることが出来る。

このような考えからぼくは書体を作っている。ただ単に専用書体を作るのであればその書体はデザイナーのエゴであり、その担当デザイナーはデザイナーでは無いとまで思う。ポートフォリオを分厚くしたかっただけだろう。問題解決するために書体が必要だからこそ作る。それが専用書体。

他にも、いま制作会社さまの専用書体を作っている。もう9割がた完成していて、あとは細かなスペーシングのみの調整。この書体は経費や使う方の作業工数を削減することを念頭に置いて設計している。

あとはアートギャラリーの専用書体とデザインマニュアル。随時行われる展示会の広告物を内製出来る環境を作り外注にかかる経費を削減。内製せずとも、その書体とデザインマニュアルを依頼するデザイナーに渡すことにより、ギャラリーとしてのクオリティは担保できる。ちなみに書体は展示会の幅広さを考慮しセリフとサンセリフどちらも作成した。
このように書体を作る理由が明確に無ければ、たとえクライアントさまに頼まれたとしてもお断りしている。現に今年は3件断っている。もちろん断る代わりに明確な理由と対策を添えて。

バランスとは難しいもので、アートとデザインとの関係性を考えた時にいつも頭を抱える。
デザインはこれからアートとしての価値をより付与していかざるを得ない時代に入ってくるのではないかと思う。それは提供するデザインそのものでは無く、デザイナーがアーティストとして認知され、活動をしていくのかと。
このご時世、フリーランスのクリエイターが増えに増えている。ただその大半のクリエイターはAIに負けてしまうだろう。ここでの負けとは仕事を奪われることを意味する。AIの圧倒的なスピードと量産性、そして普遍性。AIに勝つにはアイディエーションとアーティストとしてのネームが必要だと思う。誰に作ってもらいたいか。そこに価値が生まれる。

このようなことを最近はよく考えるようになった。クリエイターとしてのバランスとは何なのか。クオリティとスピード、このバランスも大事だ。だけどもっと大それたことを言うと、世界のバランスを変えることが出来るのもクリエイターの力だ。たった一つの作品で世界を変えることが出来る。バランスは取るものでもあるし逆を言えば崩れるものでもある。

政治やメディアはシーソーがぼくたちの足が届かないところまで大きく傾いている。しかし支点を変えることができればそのシーソーはまた愉しさを取り戻すことが出来るのではないだろうか。
ぼくは支点になる。新しいバランスを生むために。
大切なのはそのクリエイションとあなたに愛があるのか、ということ。
圧倒的にGIVE。


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