死にたいと言われたら、なんと答えますか?


みなさんは、夜回り先生という方をご存知ですか?


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少年少女の非行や薬物問題と真っ正面から向き合い、今まで50万人を以上の生徒や若者と対話してきたという夜回り先生としても有名な水谷修先生。

今回は、2度のがんを乗り越え今も走り続ける先生が「死にたい」「手首を切った」という質問に対する先生の言葉がとても印象に残ったのでお伝えします。


今も多くの若者と向き合い心の病気、不登校、自殺などの相談にのっているという水谷先生。
ある日、先生に「彼らに「死にたい」「手首を切った」と言われたとき、先生が彼らにどういう言葉をかけるのですか?」という質問が…これに対する水谷先生の言葉



「水谷です。君が死ぬのは哀しいです」

それだけです。

すると大体

「ごめんね、先生を哀しませて。でも死にます」

と返ってくる。

これでこの子は死にません。(※)

※個人的にはこれで死なないとは言い切れないと感じています。  


(なぜです?)

意識が外へ向きます。

彼らの意識構造は閉鎖的で内へ向いていますから、それを外に向けさせる。

それだけでとりあえずは助かります。

そして僕は一つのお願いをします。

「周りのみんなに優しさを配ってごらん。何でもいいんだよ。お父さんの靴磨きでもいいし、洗濯物を畳むのでもいい」

「そんなことして何になるの」

「いいから、まずやってごらん」と。

二、三日後には、心ある親なら子どもの変化に気づきます。

「先生、お父さんが靴を磨いていたのを気づいてくれて、ケーキ買ってくれた。ありがとう」

というようなメールや電話がくる。

そこで今度は親と話します。

お母さんに毎晩一緒に寝て、触れ合ってください、とお願いするのです。

日本の小児科医の父と呼ばれた内藤寿七郎先生は、「子どもは三歳までに決まる」と言いました。

三歳までにどれだけ触れ合って、抱っこしたかで人生が決まると。

いま、子どもを全然抱いていないでしょう。

保育園に預けても、数人の先生では子ども全員を十分に抱くことはできない。

車ではチャイルドシートなんかに乗せて、全然抱いていないですよ。

たとえ十代になっても二十代になっても遅くはないから、お母さんに彼らと触れ合って、抱き締めてほしいとお願いするのです。

抱き合えばいいんです。

触れ合えばいいんです。

言葉は要りません。

大人たちは頭を使い過ぎますよ。

子どもたちが待っているのは、考えてもらうことじゃない。

そばにいてくれることです。

それを頭で考えて、言葉でこね繰り回すから、むしろ言葉で子どもたちを傷つけて追い込んでいる。

いま世の中、ハリネズミだらけだ。

教員と生徒も、親と子も、社会全体がそうです。

愛し合って認め合いたいのに、針を出し合う。

例えば、娘が深夜一時頃帰宅した。

親はもう泣きたいくらい心配なんですよ。

玄関のドアが開いた瞬間、本当は、「やっと帰ってきた。心配していたんだぞ」

と言いたいのに、「何やっていたんだ、こんなに遅くまで!?」と言ってしまう。

一方、娘は家に帰ったら、「遅くなってごめんね」と言おうと思っていたのに、親に強く言われたものだから、「うざいんだよ!!」と言ってしまう。

「何だ、その口の利き方は。おまえなんか帰ってくるな!」

「分かったよ、出てけばいいんでしょ!!」……。

素直になればいいんです。


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私は、過去に摂食障害・鬱を経験していて、実際に死にたいと感じて生きていた日々があります。母親に「死にたい」という手紙を送りつけたこともあります。
そして、摂食障害時代に参加していたSNSで同じ病気の人と繋がっていた時に、たくさんの人の「死にたい」「消えたい」「生きてることが辛い」という声を幾度となく聞いていたりもしました。

だからと言って、私がみんなの”死にたい”という気持ちが分かるとはえらそうには言えませんが、死にたかったあの時に水谷先生のように誰かから「あなたが死んでしまうのは悲しい」と言ってもらえていたら、ものすごく救われていただろうな、と思いますし、
実際に私は、鬱で毎日”死にたい”と思って暗い部屋で、ただ生きる希望もなくすごしていた時に友達からもらった手紙や、SNSで繋がった人からかけてもらった優しく・自分に寄り添ってくれる言葉、真剣に向き合ってくれる姿勢に救われ、そこから生きる希望をすこしずつ見出して回復していきました。

死にたい人を100%救う言葉なんて存在しないと思うけれど、
「あなたがいなくなったら、私は寂しい」
そんな言葉をもらって傷つく人は、きっと誰もいないと思う。



言葉は薬にもなるし、刃にもなる。

心を病んでいる人には、優しい言葉をかけてあげてほしい。

死にたいと言える人は、まだ救いがある。


そして、これを見ている人で「死にたい」と思っている人へ。

あなたが死んでしまうのは、私はとても悲しいです。

私だけじゃなくて、きっとたくさんの人がそう感じています。

紹介した水谷先生だってそう。


生きることはとてもとても辛い。

お釈迦様も「人生は苦である」と説いています。

きっとこれは真理。

でも、辛いからこそ感じられる幸せや喜びや愛があります。

あの時、死なずに生きてみたら、そんなことを知りました。



最後に水谷先生のブログの素敵なメッセージを紹介して終わります。

【青空の星】

https://mizutaniosamu.net/blog/p911

今日は、昔書いた文章をそのままのせます。今を苦しむ子どもたちへのメッセージです。多くの子どもたちのこころに届くことを願っています。

子どもたち、青空に星を見たことありますか。私は、何度もあります。君たちが、夜の空に見る満天の星の輝きは、実は、昼間も私たちの頭上でその輝きを私たちに向けてずっと発し続けています。でも、太陽の光が強すぎて、その強さに勝てず、そっと青空の中に沈み込んでいるだけなんです。気づいていましたか。同じように、子どもたち、君たちを、いつも無数の優しさや、思いやりが、君たちを包んでいます。でも、君たちは、目の前に現れる、嫌なことや哀しいことに気を取られ、そして、苦しみ悩み、君たちに向けられた優しさや思いやりから目をそらしてしまっています。そのことに気づいていますか。

子どもたち、私たち人間はとっても不完全な存在です。たとえば、ものを見るとき、視野にあるすべてを同時にきちんと見ることはできません。何か一つのものに視線を向けると、その周辺はぼけて見えなくなってしまいます。試してごらんなさい。だから、私たちは、常に視線を右に左に、また上下に動かし、回り全体をきちんと見ています。これは、ものを考えることにも同じようにいえます。あることを考え、悩みはじめると、他のことが考えられなくなります。その悩みや苦しみに、こころや頭のすべてを捕らえられてしまいます。そしてさらに自分を追い込んでしまいます。多くの大人は、それまでの人生の経験から、それをきちんと切り替えることができます。何かを見ても、まずはそれを見つめ、でも疑い、そして回りを見回し、そして確認する。そして、過去の経験と照らし合わせ、自分なりに納得する。

子どもたち、君たちには、さまざまな経験が少なすぎます。だからこそ、だれかが体調が悪く君の話を聞かないと、自分はきっと嫌われたと哀しみにつぶれ、先生が、忙しさの中で、君にきちんと対応しないと、自分は駄目な子だと自分を責めます。本当は、子どもたち、君たちに罪はありません。大人たちが、回りが、君たちが、ものすごく繊細で弱い存在であることをきちんとわかり、君たちを大切にしなくてはならないんです。でも、残念ながら、親や先生、大人たちには、今その余裕がありません。大人たちも、今苦しんでいます。

子どもたち、つらいときは逃げていいんです。家で親たちがいらいらしていたら、そっと部屋にこもっていいんです。学校で嫌なことがあったら、行かなくてもいいんです。でも、こころは閉ざさないでください。泣いていい、叫んでいい、そのつらさをきちんと回りに伝えてください。できるだけたくさんの大人に。必ず救いは来ます。


・水谷修先生の紹介

1956年、横浜に生まれる。少年期を山形にて過ごす。
上智大学文学部哲学科卒業。
横浜市にて、長く高校教員として勤務。 12年間を定時制高校で過ごす。 教員生活のほとんどの時期、生徒指導を担当し、中・高校生の非行・薬物汚染・心の問題に関わり、生徒の更生と、非行防止、薬物汚染の拡大の予防のための活動を精力的に行なっている。
また、若者たちから「夜回り」と呼ばれている深夜の繁華街のパトロールを通して、多くの若者たちとふれあい、彼らの非行防止と更生に取り組んでいる。一方で、国各地からのメールや電話による様々な子どもたちからの相談に答え、子どもたちの不登校や心の病、自殺などの問題に関わっている。

その現場での経験をもとに、専門誌や新聞、雑誌への執筆、テレビ、ラジオなどへの出演、日本各地での講演などを通して、子どもたちが今直面している様々な問題について訴えている。

現在、花園大学客員教授。


・オフィシャルサイト

・YouTubeラジオ「あした笑顔になぁれ」


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