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義理の祖父が死んだ①

「じいちゃん、危篤らしいねん」
金曜日の15時頃、夫からラインが届いた。
「オトンは今日来なくても良いって言ってるし、仕事あるから土曜日に行ったら良いんちゃうかなって思ってるねんけど」
夫のオトン(義父)は人にとても気を遣う人だ。優しさで明日でも良いと言ってくれているのだろう。
「駄目だよ。今日行こう、上司に話付けてすぐに帰る」
私たちが普段20時頃まで働いている。でも、その日はすべての仕事を放置して定時退社した。夫の運転する車に乗り、あたし達は高速道路で2時間半飛ばしておじいちゃん(義理の祖父)の居る病院に向かった。

あたしが10歳の時、父方のおばあちゃんが危篤になった。その時母は命の重みなどまだ分かっていなかったあたしに「命が大変な時は、それ以上に大切なものはない」と強く教えてくれた。

おじいちゃんは2回しか会ったことがない人だ。結婚の挨拶に伺った日と、結婚式の日だけ。悲しいという気持ちが生まれるほどの思い出はなかった。
でも夫にとってはとても大切な人で、あの時の母のようになりたかった。

病院に着くと、たくさんの管を着けてベッドに横になっているおじいちゃんと、夫のオトンと、おじさん(夫のオトンの兄)、おばあちゃん(義理の祖母)がいた。
「遠くからありがとうね」
皆優しく微笑んでくれた。
おじいちゃんの呼吸器からシューシューという音がした。よくわからない医療器具がピー、ピーと小さく鳴り、おじさんは機械に表示される血圧か酸素濃度か何かの数値を確認して
「数値がさっきより安定してるわ」
と言った。

おばあちゃんは
「先週まではピシッとしてたのに、急に容態が悪化してね、本人は退院する気満々だったのに・・・」
と直近のおじいちゃんに何があったかを冷静に話してくれた。
「そうなんだよ、先週会いに行ったときは何ともなかったのに」
夫のオトンも続けた。
こんな状況、泣きわめいてもおかしくないのに、みんな冷静におじいちゃんの体調の話をしていて驚いた。あたしの実家なら、そんなに落ち着いた対応はできないと思う。

一通りおじいちゃんの体調の話が終わると、病室には呼吸音と医療機器の音だけが流れた。
あたしも夫も、他のみんなも、何を話したら良いかわからなかった。
しばらくの沈黙の後、夫のオトンが
「二人とも、話しかけてあげて」
と言った。

夫のオトンは「ほら、オットが来たよ」とおじいちゃんに優しく話しかけた。おじいちゃんは苦しそうに呼吸をするだけだった。
夫はおじいちゃんの隣に行く。あたしは静かに夫の後ろをついて行く。
おばあちゃんが「オットが遠くから来てくれたよ」と、おじいちゃんの手を夫に握らせた。
「きたで」
夫がそう言うとおじいちゃんの手が少し動いた。
「ほら、おじいちゃんわかってるんやわ。おじいちゃん、男の人の声にはなかなか反応しないけど、オットのことちゃんとわかってるよ」
おばあちゃんは少し早口で言った。
「声が高い方が聞き取りやすいとかそういうのがあるかもしれないね。よかったらチリカスちゃんも話しかけてあげて」
夫のオトンにそう言われたものの、適切な話題が思いつかなかった。だから、あたしは明るい話をすることにした、不適切かもしれないけど。
「オットはずっと優しくて、毎日楽しく結婚生活を送っています。結婚の挨拶に伺ったときに食べたごはん、すごく美味しかったです」
おじいちゃんの手が少し揺れた。

何を離したら良いか誰も分からない中、みんなが何かしらを絞り出して、おじいちゃんに話しかけ続けた。そして遂に話すことが見つからなくなった頃に夫のオトンが疲れを隠した優しい声であたし達にこう言った。
「もう遅いし、2人とも帰って大丈夫。みんな疲れてるだろうから。俺はここに残るから、オットは母さんと兄貴家に送ってあげて」
「わかった」
と夫が返事をした。
皆でおじいちゃんに「またね」の挨拶をすると、おじいちゃんの手は大きく挙がった。あたしたちの声が聞こえていたようで嬉しかった。

おばあちゃん達を家に送った後、あたしと夫はネットカフェに泊まった。
狭い個室に荷物を置いて、順番にシャワーを浴びた。
あたしがシャワーから戻ると、
「じいちゃん、息引き取ったって。オトンからライン来たわ」
と言われた。
「そっか、じゃあ今日来て良かったね。明日だったら会えなかった」
「せやな・・・」
夫は困った顔をしていた。多分、現実味が沸いていないんだと思う。
人が亡くなっても、本当に亡くなった事を実感するのは、亡くなった瞬間じゃなかったりするよね。

狭いネカフェの個室に2人で丸くなった。あたしはいつもの睡眠薬で眠り、そんなものを飲んでいない夫はほとんど眠れなかったみたい。

朝、ネカフェのわかめスープを飲んだ。これからのスケジュールの話や、会社への連絡など、考えないといけないことはたくさんあったけど、
「飲み放題やしもうちょい飲もかな」
といろんなジュースを飲んだり、ネカフェのメニュー表を見たりした。

帰りの車、あまり眠っていない夫に運転させるのは嫌だった。こういう時、ペーパードライバーの自分が情けない。
夫は優しいから
「ホンマ、ペーパードライバーさんは困りますなぁ」
と笑ってくれる。

2回しか会ったことがないおじいちゃんの死はあたしにとって大きなショックではなかった。思い出がなさ過ぎて、もう少し会っておけば良かったと後悔はした。
ただそれよりも夫が心配だった。彼にとって初めての家族の死だった。彼がおじいちゃんの死を認識したとき、どうなってしまうのか分からなかった。彼が泣いている姿を見たことは一度もない。彼は辛い時もそれを隠して笑っていてくれるような人で、あたしにできることは数える程しかない。
夫が悲しいなら、あたしも同じ気持ちになる。夫の心が揺らがないように、と思っていても、あたしの心は夫の気持ちを想像するだけでブレブレだった。

揺れに揺れたあたしの気持ちはめちゃくちゃな方向に動いてしまった。
「あのさ・・・めちゃくちゃ不謹慎だけどさ、あたし、赤ちゃんほしくなった」
彼と付き合う前からあたしは「子供ほしくない」と伝えていた。彼もそれに同意して結婚していた。
人が亡くなった時にこんなことを思うのは絶対に良くないけれど、気持ちを抑えられなくて、口から出してしまった。怒られるだろうか、笑われるだろうか、少し怯えながら高速道路の飽きてしまうほど続く緑色の山を見ていた。
「いや、俺も思ってん、不謹慎やけど」
「え、うそ」
「ホンマやで。オトンもおじさんも忙しいのに遠くから来て、なんか良いなーって思ってん。自分もあんな風になりたいな、とか」
自分だけが異常じゃなくて安心した。

それからあたし達は、子供がいる未来について話した。中学受験をさせるかどうかとか、運動会で活躍できるお父さんになりたいとか、犬と子供が居たら可愛いとか。
人が亡くなった後とは思えないくらい明るい話をした。楽しかった。彼は良い父親になると常々思っていたし、彼と子供と一緒に川遊びや旅行に行く想像は幸せな家庭そのものに思えた、想像は。

ねぇ、あの日本当に赤ちゃんが欲しかったよね。
でもあたし、産んで良いわけないよね。
この日から、あたし達は少しずつ嚙み合わなくなった。

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