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「一体感」は本当に一つになっているのか

 今回は、一体感という言葉について考えています。ヘッダーは今日届いたハンブレッダーズのグッズです。順調にファンの道を突き進んでいます。

「会場が一つになった」「全国民の願い」「市民はみんな望んでいる」、こんな言葉を見かけると、本当にそうなのかなと、疑問を感じたりします。

 もちろん、私はライブなど何かの機会で同じ会場にいる人たちを大切にしたいと思います。また、今住んでいる国も、街も、大好きです。でも、本当に私たちは「一つ」になっているのでしょうか。

 私が「一体感」のような言葉に疑問を感じるのは、そこにいるそれぞれの個人や、そこにある多様性が忘れ去られてしまうのではないかと思うからです。「一体感」は、「大きな物語」と結びつけて語られることが多く、みんなが同じで、同じ目標に向かっていることが素晴らしいとされるように感じます。私たちは、たとえ二人でも意見が違うことがあります。すべての人が同じで、同じ考え方ということは、決してないはずです。

 そして、何か一つの場所を共有することは、共感がなくても可能です。それぞれがそれぞれの気持ちで、その場所と対峙する瞬間はあります。

 ここでまた好きなバンドの話になりますが、ハンブレッダーズの世界観は、孤独な一人ひとりが、一つになるわけではなく、それでもよいというものです(聴く限りの私の解釈です)。私が前から好きだったBump of Chickenも私の考える限り世界観が似ています。

 もちろん、ここには私が好きな考え方を書いているだけで、それを誰かに強要するものではないです。それぞれが良いと思うものを良いと感じて、それが同じなら喜んでもよいし、誰かと違っても悲しむ必要はないと思います。

それぞれが、それぞれの楽しみを、それぞれの場所で。そんな楽しい世界が広がることを願っています。

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