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「人間」って何だろう

 最近、地理に関することをたくさん書いているので、今回は少し離れて、ぼんやりした話を書いてみます。「人間って何だろう」、「人間らしさ」て何だろう、という疑問です。ヘッダーは人ではなく、稲の中から出てきた実家の猫です。ジャングルから出てきたトラのような風格をそなえています。

「人間」や「人(ひと)」の意味は何なのか

 この疑問は、私が素朴に何度か考えてきたものです。というのも、「人間らしい」という言葉や「人として・・・」のような表現は、とても広い意味で使われるからです。良い意味でも使われ、悪い意味でも使われます。たとえば以下のような感じです。

・あの人は、普段は少し冷たいけど、困ったときは必ず助けてくれる。そんな「人間らしいところ」があるんだ。(優しさを持った人という意味)

・あの人はいつもしっかり仕事をするのに、たまに遅刻するよね。そういうところが「人間らしいよね」。(失敗もする人という意味)

 他にも「人(ひと)」という言葉にある色々な意味に、考えを巡らせることもありました。

・結局最後は「ひとごと」だから、深く関われないね。(ひと=「他人」の意味)

・お礼はいりません。「人として」当然のことをしたまでです(人=「倫理的で正しい」の意味)

「人間」や「人(ひと)」の多様で奥深いあり方を考える

 なんだか難しい表現をしてしまいましたが、人間が本当に多様だからこそ、人間や人(ひと)に関連する言葉も多様になるということですね。そして、人間について考え過ぎるくらい考え、互いに意見を交換し、ときには批判し、ときには共感しながら議論を積み重ねているのが、「人文学(人文科学)」なんだろうと、私は考えています。また、たとえ学問ではなくても、日々の営みの中でそれぞれの「人(ひと)」が、それぞれの答えを考え続けているのかなと思いました。

人文地理学の中の「人間」

 少しだけ地理学の話をすると、人間をどのようにとらえるかについての議論は、時代によって、また、様々な視点によって、幅広く展開されてきたといえます。到底私一人でカバーできる話ではないので、簡単な紹介とさせてください。人文地理学は、人間が住むことのできる場所とそうでない場所(エクメーネとアネクメーネ)のような地表に関する話にとどまらず、計量地理学とその一方で起こった人文主義地理学、人間の行動に注目する時間地理学や行動地理学など、人間のとらえ方は多様に変化してきました。さらに、広く人文学の議論の展開を受けて、人そのものの差異(性、年齢)に注目する研究、人とモノの様々な「関係」に関する研究なども行われています。特に英語圏では、人の多様性を認識し、障害のある方や性的マイノリティの方、子どもや高齢者といった人間集団に注目するなどして、私たちが「人(ひと)」として想定する対象がいかに多様であるかを示す研究が蓄積されています。日本でもそれらを参照したり独自に研究を重ねることで、人文地理学における「人(ひと)」を議論する視点は幅広く展開されていると思います。(※あまり詳しく知らない中で偉そうなことを書いてすみません。きちんと内容まで説明できるよう、もっと勉強します。)

皆さんにとって「人間」とは?「人(ひと)」とは?

 「人間とは何か?」という問いは、色々なことに結びついていきます。哲学、人工知能(AI)のあり方、法律の解釈、よりよい社会の実現(そもそも何が「よい」かという議論も含めて)、そして身近な人との接し方に関する日々の喜びや悩みまで、幅広い問いと答えがあると思います。また、それぞれが「人間」や「人(ひと)」という言葉を使うとき、どんな存在を想定しているのか、あるいはどんな存在のことを見えずに忘れてしまっているのか(無意識に排除してしまったり、傷つけてしまったりしていないか)、考えることも大切です。皆さんにとって、「人間」とは何ですか?「人(ひと)」とは何ですか。奥深い迷路に入って考えてみてください。

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