見出し画像

諸科学の母からプラットフォームへ:地理学の位置づけを考える

 今回は、ある言葉について詳しく調べてみました。「地理学は諸科学の母」という言葉です。これは、地理学関連のガイダンスや紹介で耳にしたり目にしたりすることがある言葉です。私も学部生時代に授業などで聞いたように記憶しています。

 ただ、この言葉は誰が言ったものなのか、詳しい出典を見つけることができませんでした。そこで、できるだけ古い文献までさかのぼり、この言葉の意味を考えてみました。その過程で、地理学の歴史を少し学ぶことができました。また、現代において地理学の総合性を説明することの意味についても少し考えました。それでは早速、見ていきましょう!

地理学は諸科学の母・・・?

 「地理学」をWikipediaで見ると、「地理学と哲学は諸科学の母」と書かれています[リンク]。そのページの出典を見ると、法政大学のHPが参照されていました[リンク]。ここでの表現も「・・・という表現が聞かれます」と書かれていて、誰が言ったということや、何に書かれていたという情報まではありません。慣用句的なものなのでしょうか。しかし、気になると調べずにはいられないので、論文や書籍を調べてみることにしました。

「地理学は諸科学の母」の起源を探す旅

 論文検索にあたって、タイトルやキーワードならCiNii(国立情報学研究所)で探すことができますが、本文中の表現を探すときは、Google Scholarが適しています。Googleのサイトで「Google Scholar」を検索して開くと、学術関連の結果のみ(論文のPDFや書籍など)を検索結果として表示してくれるサイトです。出版年を指定して検索することもでき、最近はオープンアクセスのPDFが増え、本文も検索対象となっているので便利です。このほか、地理学の概論的な本で少し古いものを探しました。

 日本の地理学関連の論文や書籍で探すと、同じ内容でいくつかの表現がありました。私が見つけたものとしては、「諸科学の母」(飯塚浩二『地理学方法論』,古今書院,1968,P.12)以外に、「諸科学の母体」(木内信蔵『地域概論』,東京大学出版会,1968,P.1)、「万学の祖」(木内1968,P.43)、「諸学の母」、「科学の母」、「万学の母」、「高学の母」、「学問の母」などがありました。

 また、英語にも「mother sciences」という表現がありました。古い論文をずっとさかのぼったところ、見つけられたもので一番古かったのは、19世紀末の1898年の論文でした(Markham, C. R. 1898, Geographical journal, 11(1), 1-15) [PDFのリンク]。20世紀前半には複数の論文で「mother of sciences」や「mother science 」という表現がありました。

 ドイツ語で検索すると、「"Geographie ist die Mutter der Wissenschaften!" (Immanuel Kant, 1724 -1804)」(例:Städtisches Gymnasium Steinheimのサイト[リンク])のように、複数のギムナジウム(ドイツの学校)のサイトなどに記載があり("Geografie ist die Mutter der Wissenschaften!"は「地理学は諸科学の母である」のような意味です。)、哲学者のカントを出典としていました。カントの書籍ではこの表現を直接見つけることはできませんでしたが、慣用句的な使われ方なのかもしれません。

カントと地理学

『カントと地理学』(メイ著,松本正美訳,1992,古今書院)でも示されているように、カントにとって地理学は「知識の予備学」かつ「知識の最終産物」としてとらえられていました。

 カントは哲学者でありながら自然地理学の講義を大学でも行っていて、その内容は『自然地理学(カント全集16)』(宮島光志訳,2001,岩波書店)で日本語でも読むことができます。カントは、世界認識の2つの基礎として人間学と自然地理学を位置づけていました。「自然に関する経験と人間に関する経験とが一体となって世界認識が形成される」(前掲,p.16)という表現から分かるように、カントは地理学をとても大切にしていました。

 近年ではデイヴィッド・ハーヴェイが『コスモポリタニズム—自由と変革の地理学―』(大屋ほか訳,2013,作品社)の中でカントの地理学の内容を批判しています。そこでの問題は、カントの時代の地理学が伝聞や伝記などの知識を集めたものであり、実際の観測や調査に基づかないものだったことに由来すると考えられます。ここで改めて、フンボルトやリッター以降の近代地理学の体系の重要性が理解できるように感じました。

諸科学のプラットフォームとしての地理学

 たしかに地理学は古代ギリシアの時代から研究されており、当時の探究の対象はとても幅広かったので、「諸科学の母」という考え方も理解できます。また、19世紀以降のフンボルトらによる近代地理学の確立にあわせて、各国の大学などで行われていった地理学の制度化(大学でどのように地理学を位置づけ、教育・研究をするか)を考える中で、その総合性を主張することも大切だったといえます。

 ただし、「何でも地理学になる」という考えには注意が必要だと思います。少し考えただけでも、私たち地理学を学ぶ人間には医学の知識はありませんし、人文地理学の隣接分野の社会学などの知見にも教えられることがたくさんあります。その起源が諸科学の母であったとしても、現代で総合性を説明するなら、隣接分野の知見を参照し、謙虚に学ぶ姿勢が大切です。そういう意味で私が見つけた表現で気に入ったのが、「諸科学の方法の十字路に位置する一つの総合科学」というピエール・ジョルジュ(『地理学の方法』,野田早苗訳,1974,文庫クセジュ:白水社)の表現です。木内(1968)も「特定の対象領域を持たず、これらの系統科学と交叉する領域を占めている」と述べています。

 「〇〇地理学とつければ何でも地理学になる」という表現には、まだ何を研究すればよいか分からなかった学部生時代に、何度か勇気づけられたこともありました。中学校や高校で地理を学んでいて大学の地理学に興味を持った方、大学で地理学を学ぶ方、大学で地理学を学んで卒業した方、その他すべての地域について考える皆さんにとって、地理学がプラットフォームのような存在であり続ければ嬉しく思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?