『saṃsāra(サンサーラ)』 4


4       月
 
見事な月に、蝶の踊りに私たちは足を止める。蝶は階段をつくるのをやめている。いまは橋を作っている。
あたりはどこまでもよく見える。希望のように。あの暗闇が嘘のように。月はすべての暗闇を吹き飛ばしてくれた。私は最後の階段の端に腰を下ろす。
 
そっと月を見る。
月は私を見ている。
 
月は私を見下している。
私は月を見上げている。
 
月の光は私の中身を洗い流しているようだ。
私は月に私を洗浄してもらっているようだ。
 
犬は何も言わず私たちの、その姿をただ待っている。
犬は何もせずにじっと見つめていた。
 
何事もなく時間は過ぎていく。
時間は何事を押し流していく。
 
何事も起こることはない。
ただ時間は流れていく。
いや、時間は止まっているようだ。
時間は、動いているのだろうか。
そんなことすらどうでも良く感じられるほど、この時間は充実した時間だった。
だから本当に、この時間が、
何時間だったのか、
何十分だったのか、
何年だったのか、
何秒だったのか、、、
私の世界の時間の壁が壊れてしまっていた。
私の足先に蟻の行列が何匹と横断していても
私の肩口にフクロウが寝床を作っていたとしても
私の手の先に苔がおいしげようとも
仕方のない時間だったと思う
事実犬も、諦めてしまっていたのか。すっかりと寝ていて、少しも起きる気配もない。
それは私がそれほどに月にあてられていて。
月は私との出会いを面白がっていたために。
周りの時間は壊れてしまったのだろう。
 
月は急に私に別れを告げる。
私はその急に戸惑う。
 
それは雨。
突然に雲が現れて雨が降り出して、私たちは我に返る。
ほおっておけば、本当に何十年もそうしていただろう。
雨は私のほほを濡らし、雨は周囲に雨のにおいを湧き立たせ。その存在を周りに知らしめる。ガラスの橋はすっかり濡れている。
雲はあの神々しい月をすっかり隠していく。
犬は雨に起こされて、すっかり不機嫌だ。
「旦那様。先に進みましょう。ここいらにも煙が立ち込めてきましたから」
雲を捕まえて煙扱いとは変わった物言いだとも思ったが、私は月への未練を断ち切るようにすっくと立ちあがり、先へと進む。
階段は月の入り口ですっかり終わっていて、その先は橋のようにただ一本道が続いている。あの蝶たちはいつの間にか立派な橋を完成させている。その橋も雨にさらされているので、足元がおぼつかない。
いつの間にか私は裸足だし、蝶の橋はガラスのようなものでできているのか、よく滑る。
犬も足元がおぼつかない。
「旦那様。気をつけてください」とは言っているが、その刹那足を滑らしている始末だ。
「私は大丈夫だけれどもお前は大丈夫なのかい」
苦笑いしたような顔をこちらへ向ける。
「旦那様。雨は嫌ですね」
「本当に雨は嫌だな」犬はその言葉を違う意味でとらえたようで、にこにこしている。
いつの間にか雨は粉々に砕かれていく。雲は次第にその位置を低くして。今ではすっかり私たちの周囲を雲が覆っている。どこからか入り込む月の光が雲の中を反射している。その見事な極光は私へのあいさつのように感じた。

ひとまずストックがなくなりましたので これにて少しお休みいたします。 また書き貯まったら帰ってきます。 ぜひ他の物語も読んでもらえると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。 わんわん