38.打てないピリオド

推しがアイドルじゃなくなって数日が経った。

最後のチェキチャも、最後の配信も悔いなく終わって、直後は寂しくもあるがさっぱりした気持ちだった。

ただ、推しがいなくなった日々は想像していたよりも空っぽで、味のない時間が流れている。

推しがアイドルだった期間も、当然毎日会えていたわけではない。
それでも日々のSNSの更新で身近に感じられていたことをこの数日で改めて実感しているし、寂しいと思うのはここからが本番な気がする。

ふと、このnoteを書き始めた割と初期の頃に推しに言われた言葉を思い出した。

​─これさあ、全部終わったあとに読み返したらどんな気持ちになるんだろうって想像してる。

7.答えのない問い より

この言葉を言われた当時は、卒業発表から1ヶ月も経っていないタイミングだったのもあって寂しさが押し寄せて上手く返答できなかった。
でも今は素直にその答えが知りたくなって、全ての記事を読み返してみた。

「一生ヲタク」だの「ヲタクを辞める」だの、時期によって言っていることが本当にブレブレで、他人からみたらみっともないかもしれない、と思った。
だけどどの記事もその時の私の本音だったし、当時の私の気持ちがわずかだが蘇ってくるようで、読んでいて懐かしい気持ちになった。

同時に卒業発表からの半年を私らしく精一杯駆け抜けられたこと、そして何より推しのことが今もちゃんと大好きであることを実感した。

本当に楽しくて、幸せな時間だった。


今の私は、本当にアイドルヲタクをする気になっていない。
ここ数日で大きめのフェスの告知があったりしていてもずっと他人事だ。
それでも周りのヲタクは当然のように現場に行っているし、なんだか置いていかれたような気分になる。(ヲタ活も人生も他人と比較するものではないのは大前提ですが…)

それでも推しは今何してるかな〜、と考える癖はしばらく残りそうだし、きっとスタバの新作が出る度に推しのリアクションを想像すると思う。
逆に、いつかは自分もそうじゃなくなるのが怖いのかもしれない。
去り際に残していった新しいインスタのアカウントも、しばらくは更新しないと言っていたし、そもそも更新されることがないかもしれないと言っていた。
つまり、今後一切推しの存在をこちらからは認識できないかもしれないのだ。
そう思うと、自分の脳内で推しの今を考えることを辞めることが難しい。

それでもいつか、その考えすら忘れる日が来るのだろうか。
今はまだ、そんな日が来るとは思えない。
それくらい、私の中で大きな存在になっていたことを改めて実感する。


元々は推しがアイドルではなくなったこのタイミングで最後の記事を書いてこのシリーズを終わろうと思っていた。
それでいいと思えるくらい推しは本当にきれいな去り方をしたと思う。
だけど私の気持ちはこの有り様で、しばらくは変わらないだろう。


いつか、いい意味で推しから気持ちが離れる瞬間が訪れたら、そのときに最後の記事を更新しようと思う。


長尾ちゃんごめん、ご覧の通り私はまだ君から卒業できていません。
それでも、何日、いや何年かかるかわからないけど、君がいない世界で幸せになります。

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