多神教社会のローマ皇帝の立場から、一神教をながめる

少しまえの記事で、ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』から、一神教がそもそもどう生まれてきたのかを考えてきました。

今でこそ世界三大宗教の地位にいるキリスト教ですが、少数派だった時代もありました。

今日は、フランスの作家ユルスナールの小説『ハドリアヌス帝の回想』から、多神教(ローマの神々)が多数派で一神教(キリスト教、ユダヤ教)が少数派だったころの社会について考えます。

『ハドリアヌス帝の回想』は、ローマ帝国五賢帝の1人であるハドリアヌス(テルマエ・ロマエのときの皇帝)が2代あとの皇帝となるマルクス・アウレリウス・アンノニヌスに向けて回想録を残すという形で語られます。

回想録には、皇帝になるまえに軍人として遠征した地で起こったこと、先帝トラヤヌスとの緊張関係、皇帝になったあとの困難などが綴られます。

ユルスナールは『ハドリアヌス帝の回想』を通して、読者に「帝国の文明が広がるとき、人々は何を経験するのか」を体感させてくれます。

スペインの植民地で生まれたハドリアヌスの子ども時代には、初めて文字に触れる体験をさせ、
(実際のハドリアヌスは、ローマで生まれたという説が有力)
ローマ帝国が征服したブリテン島では、征服された民が初めて貨幣に触れる。

当時の人になりきるためのメガネを掛けさせてもらったかのような読書体験は、ワクワクでいっぱいです。まさに読むVR体験。

また『ハドリアヌス帝の回想』を読んでいて、
のは、作者の善悪の判断を加えずに、当時の人々の価値観をそのまま見せてくれるところです。

ユルスナールがハドリアヌスに、ユダヤ教(一神教)と、ローマの多神教について語らせているところがあります。

ハドリアヌス帝の治世には、ユダヤの地でユダヤ属州(今でいうパレスチナとイスラエル)での大規模な反乱が起きました。(ユダヤ第二戦争、AD132-136年)
反乱は3年も続きますが、これを機にユダヤ人は各地に離散することに(ディアスポラ)なりました。

ローマ側もこの反乱には手を焼いたため、作品内でのハドリアヌスのユダヤ教への言葉は辛辣です。

わたしはこのばかにされている民族に、他の民族とならんでローマ共同体の内に席をあたえたのだが、イェルサレムは、アキバの言によると、最後まで人類から孤立したひとつの民族ひとりの神の砦としてとどまるつもりなのであった。(「黄金時代」207頁)

ユダヤ民族の反乱のきっかけは、ハドリアヌスがエルサレムをローマ風に変えようとしたことでした。ローマ側はエルサレムにもローマの神殿を建てようとします。
今の感覚だとユダヤ民族に同情する人が多いけど、当時の感覚だと「偏屈な民族。面倒臭い」だったんでしょうね。

(ユルスナールの、この辺りを美化しないところが好きなんです!!)


一方、作中のハドリアヌスはローマの多神教について、こう語ります。

ローマ古来の宗教たるや、人間にいかなる教義の軛もかけず、自然そのもののように変化にとんだ解釈をゆるすものであって、厳格な心には、もし欲するならもっと高貴な道徳をつくり出させ、それでいて、厳しすぎてすぐに束縛や偽善を生じさせるおそれのある戒律によって大衆をしばりつけることがない、そういった宗教なのである。(「厳しい修練」236頁)

私はこの文を読んだとき、新約聖書に出てくるアテネの「知られざる神に」と書かれた祭壇を思い出しました。
この祭壇は、使徒パウロがアテネへ宣教に行ったときに「知られざる神に」と書かれた祭壇を見つけ、そこを起点として大説教をうつというエピソードで有名です。(使徒言行録17章)

アテネ=ギリシャの神様と、記事で話題にしているローマの神様は、当時は一応同じものとして扱われていますが、元々別のもの…。ここは多神教というくくりで話を進めます。

私が聖書でこの箇所を初めて読んだときは、パウロの説教の内容よりも、「知られざる神」という言葉に強く惹かれました。
自分たちにはまだ未知のものがあるんだと受け入れる、知性のしなやかさに感動したんです。一応当時はクリスチャンだった(過去形)はずなんだけど(笑)

そして小説のなかでハドリアヌスが語った「ローマ古来の宗教たるや、人間にいかなる教義の軛もかけず、自然そのもののように変化にとんだ解釈をゆるすものであって」という言葉に通じるものを感じたのでした。

ただローマの宗教そのものがいかに柔軟であっても、それは強者の理屈であって、押し付けられる側にはたまらない。

たしかにローマ帝国は、征服した民族の宗教そのものを禁じることはしないんです。
「自分たちの神様は今まで通り信じてもいいから、その代わり、私たちの神様(ローマの多神教)も信じてね」
というのが彼らのスタンスだったらしい。

でもユダヤの民からしたら、ユダヤの神から「私の他に拝んではならない」と命じられているわけで。しかも聖書は、ユダヤの神の激しすぎる性格を表すエピソードが満載です。
ローマの神を一緒に拝んだら、どんな災厄がおとずれるか分からない。民族的アイデンティティなんてもんじゃない、当時のユダヤの人々は本気で恐ろしかったと思うのです。だから戦うしかなかった。

おそらくこうした恐怖は、同じ神を信じていた当時のキリスト教徒たちにとっても同じだったでしょうね。
そして彼らがローマの神を拒む姿はは、ローマ側からは、傲慢で偏ったものに見えた。帝国がまとまる上でも厄介な存在に思えてしまった。そんなところだろうと思います。

少しまえに言われていた、「グローバリズムと価値観の押し付け」に通じるものもありますよね。
(そういえば、グローバリゼーションって言わなくなって久しいですね。もうそれが当たり前になっちゃったからかな)
現代を生きる私にとっては、どちらの心境も理解できなくはなかったです。
今日は時代を変え、立場を変えたところから一神教を眺めてみよう。そんなお話でした。

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