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ソマティック・エクスペリエンス(SE)で出てきた、覚えてない記憶

ここ最近は、トラウマ治療のなかでもSE(ソマティック・エクスペリエンス)での経験を綴っています。

私が思うSEのいいところは、
①言葉になるまえの記憶を扱うことができる
(身体が覚えていることを、扱える)
②トラウマに向き合う時の恐怖感が、他の手法と比べても少ない

ことです。


そして今日は「こんな記憶を扱えることもあるよ」というところから始めようと思います。

(もちろん、こういう記憶を扱わねばならないという意味ではないです。念のため…)


1.ソマティック・エクスペリエンス(SE)で現れてきた、2歳以前と思われる記憶…

私はあるとき、臨床心理士からSEを受けていたところ、こんな体験をしました。

私がかなり幼かった時の風景が「見えて」、その景色が上下に一回転して感じられたというものです。肉体のほうも、目が回るような頼りない感覚がありました。

ああ、怖いと感じる間もない一瞬のことでした。

年齢はおそらく、1歳から2歳くらいのときなのでしょう。それが分かるのは、SEのときに「見えた」絨毯のいろと、置かれてきた飾り棚の雰囲気からです。
あの頃の絨毯に、食器棚が逆さに見えて、目の前が天井でいっぱいになりました…。


2.私にとって大事なのが、SEで感じたことが真実かどうかではなくて…

えっ…。私、小さい頃に母親から放り投げられてたの!?
とはいえ正直、今でも100%自分がSEで「見た」ものを信じているわけではありません。

分かるのは、私の脳が何かの記憶を処理しようとしていたことただ、それだけです。

だから私は、今の家族にも、
「トラウマ治療の結果、私は赤ちゃんの時に母親に放り投げられてたことが分かったよ」
なんてことは言っていません。

正直母ならやりかねないとは思っています。
ですが母が私を投げていようが投げていなかろうが、まあ良いやと思った自分もいました。

誰かに分かってもらうことは、とっくに諦めていたからです。


強調しておきたいのは、心理士が事前に、
「こんな体験があったんじゃないですか?」
のような誘導をしたこともないということなんです。

これ以外にもSEをしているときに、喉が持ち上がって、うぐぐ…と苦しくなるような感覚が立ち現れて来たこともありました。
私はここでも、だからどうだと言うつもりはありません。


3.記憶に直面しなくても、脳が処理をしてくれるということ…

ただSEって面白いなと思うのは、言葉という形で蓄積されていない記憶……どちらかと言うと「身体が覚えている」記憶の断片を扱えることなんです。

それは言葉をベースにしたカウンセリングだけでは辿り着けない、SEだからこそ降りていくことのできる経験の世界なのかもしれませんね。

記憶に生々しく直面しなくても、脳が処理していってくれるというのは、気持ちの面での負担も少なく、私にはありがたかったです。

私が体験したトラウマ治療の手法について、負担が大きな順に並べるとこうなります。

◆治療前の恐怖感の大きさ
①EMDR > ②自我状態療法 >③SE

※記憶に直面せざるを得ない度合いは、確かにEMDRが一番きついです。ただし、心理士が直面する負担が大きいと判断した時には、その度合いを和らげる誘導をしてくれることがあります。
たとえば浮かんできた記憶のイメージを「遠く、映画の画面を見ているようにイメージし直してください」などです。
そんな話もまたできたらと思います。

◆治療後の肉体的疲労感
①SE > ②EMDR > ③自我状態療法

※SEはゆっくりゆっくり体を動かしていくので、終わった後は全身の筋肉がメチャクチャ疲れることがあります。翌日、全身筋肉痛になることもありました…。

あくまで私の場合ですが、SEを実施してもらうとき、
「トラウマ記憶を扱っているのに、あまりにも怖くない」ことに感動し、

(※個人の感想です。実際には個人差大だと思います、念のため)

当時の臨床心理士の先生に、
「先生、私、もう全部SEだけでいいです」
と言ってしまったくらいです。

先生からは、
「うーん。SEだけって言うわけには、いかんよよねえ…」
と言われてしまい、その後がっつりEMDRをすることになるのですが、毎度毎度怖い怖い言いながらもなんとかなりました笑

きっとSEが向いている記憶、EMDRが向いている記憶があるのでしょうね…。


というわけで私がSEの経験について書いてきました。今度は何を書こうかな…よかったら、お付き合いください。



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