キリスト教2世の私が、イスラエルやイスラームを問い直したきっかけ【高校篇】

トラウマ治療の記事をまとめる時間がなかなか取れず、最近フォローしてくださった方には申し訳ないです…。
私は書く方向性を決めてしまうと、何も書けなくなるようです。今日は、私の宗教2世(伝統的なキリスト教)としての話です。

私は虐待サバイバーとしてだけでなく、キリスト教2世としても育ちました。
今日は私の高校時代以降、キリスト教や、クリスチャンにとってもイスラエルを相対化したきっかけが次々訪れた話を書こうと思います。

私がこれらのことを書こうと思ったのは、ここ半年のガザでの大虐殺のニュースを見て、色々思い出したからです。
とはいえ私は「イスラエル人は皆残虐だ」と言いたいわけではありません。ガザ侵攻に反対しているイスラエル人(ユダヤ系)、他国にいるユダヤ系の人たちもいるからです。

私が書きたいのは、キリスト教の背景で育った人間が、どうイスラエル(とくにエルサレム)を特別視するようになり、後にその考えを修正したかということです。では、本題へ…。

1.ユダヤ人やイスラエルの「素晴らしさ」を語っていた司祭のこと

このnoteでは、私が疑問を覚えた司祭たちの言動について一部書いてきました。
実は今回お話しする司祭は、「人としてどうか」と思ったことは一度もありません。むしろ親しみやすくて、権威を主張しない方でした。

ただ、ユダヤ人がいかに賢いかという話をよく話していましたし、
「エルサレムは本当にいいところ。今は戦争してるけど、戦争が落ち着いたら皆で行こうね」
と、話していました。

私はこの神父様が言うならと、エルサレムに一度は行きたいと思うようになりました。
バチカンとエルサレムは、高校生だった私の憧れの土地でした。

ちなみに私のいた宗派では、ここまでユダヤ人やエルサレムを持ち上げることはあまりありません。あとで知ったことですが、その司祭は私のいた宗派(教団)の中でもユダヤ教色の強いグループ出身だったんですよね…。

そんな私もその後の国際情勢や、高校以降に学んだ内容で、無邪気にエルサレムには憧れることはできなくなりました…。

そうしたあれこれで、私はイスラエルという国やキリスト教、またそれまで考えたこともなかったイスラームについても考え直すことになりました。


2.世界史の授業でキリスト教「十字軍遠征」を知る

まず、私のキリスト教観に影響を与えたのが世界史の授業でした。

では、私が衝撃を受けた歴史上の出来事を並べてみます。

2-1.十字軍

→聖地エルサレム奪還のために、当時の教皇の提唱で始められる。エルサレムだけでやく、東方正教会の地域への侵略も行われました。

 驚いたのは、キリスト教系部隊の残虐さに対して、イスラム系帝国(エジプト、中東地域)の王様が敵軍捕虜を助けるといったエピソードも知る機会があったことでした。
「キリスト教=進んだ博愛の宗教」「イスラーム=遅れた野蛮な宗教」という、当時のあまりに無知な思い込みを修正せざるを得ませんでした。

2-2.キリスト教徒同士の殺し合いと、キリスト教国の植民地支配

続いて私が衝撃を受けたのか、ルターの宗教改革(1517年)あとのヨーロッパでの戦争でした。
背景はそれだけではありませんが、カトリックとプロテスタントの間で延々殺し合いが行われたことです。
フランスのユグノー戦争のように、国の中で行われたものもありました。原因は宗教だけじゃないんだろうけど…と思いつつも、当時のドン引きでした。

さらには15世紀末から20世紀半ばまで続いた、欧米による植民地支配…。

『倫理』の授業の先生の余談の中で、
「ヨーロッパの人々は、中南米から連れて帰ったインディオたちが人間なのかどうか、真剣に議論して揉めていた」
という話に衝撃を受けました。
(それに異を唱えたのが、哲学者カントだったという話から)

小中学生のときの私は、ヨーロッパは人道支援も盛んで、やっぱりキリスト教すごいなあと思っていました。それが…世界で一番人を殺しているのは、もしかして…キリスト教徒なんじゃないかと…。
ただただショックでショックで、仕方がなかったです。

私のいた宗派では、(少なくとも20世紀初めまでは)「選ばれた人」の前に聖母マリアやイエス・キリストが現れてメッセージを託すと信じられています。

それらはバチカンの調査を経て、本物かどうかが判断されるのですが、「十字軍やめろ」「殺し合いやめろ」「侵略やめろ」と言いに来たことは、ないのよねと…。
うーん、なんだかなと思うようにはなりました。

十字軍を言い出した教皇の魂は、天国・煉獄・地獄のどこにいるんだろうと思ったりね…。

高校で学ぶ知識は、私の思い込み(大人たちからの刷り込み)に楔を打ち込んでくれました。


2-3.1948年イスラエル建国と、第二次世界大戦中のイギリスの二枚舌外交

そして、時代は現代へ。
第一次世界大戦中のイギリスは、戦争を有利に運ぶため、アラブと当時国を持たずにヨーロッパ各国に暮らしていたユダヤ人とに「それぞれの国家を建設すること」を約束してしまいます。

1948年にユダヤ人はイスラエルを建国しますが、その土地に元々住んでいたアラブ人はその後の戦争もあって居住地を追われることになりました。
正直、当時の私はここでキャパオーバー。これ以上考えるのをやめました。


さらにこの時期は、国際情勢でも色々ありました。
(ただその後、ウクライナ侵攻にガザの大虐殺のようなことが起こるなんて、この頃は思いもしなかったです…)


3.「9.11」と「イラク戦争」と…

私が高校生のとき、「9.11」と「イラク戦争」が起こりました。
(年齢がバレる…)

このときは、イスラム原理主義者は恐ろしいと、ニュースを見てそのまま思いました。
しかしその後、イラク戦争を起こしたブッシュ大統領の支持層には、「キリスト教福音派」という人たちがいることも知りました。
(この福音派は、Twitterでも被害を語る宗教2世が多いです)

それまで私の脳内キリスト教地図には、カトリック、聖公会(英国国教会)、日本基督教団、ルターとかカルバン、ピューリタンという断片的な用語しかありませんでした。正教会の存在は知っていましたが、とても遠い存在でした。
福音派のことを知ったときは、「そんな人たちがいるんだ。怖いなあ…」というのが正直な感想でした。

ちなみになんですが、日本のキリスト教へのイメージは、この頃悪くなったと思うんです。

新聞の社説でも、「キリスト教とイスラム教の善悪二元論が問題だ」という言葉は見ましたし、その後進学した大学でも、キリスト教のイメージはすごく悪かったです。
私はようやく「キリスト教への偏見」でいっぱいの田舎から、「都会」に出たのに、勝手に肩身の狭い気持ちになっていました。

じゃあ日本人が人を殺さなかったわけじゃないだろうという反発も覚えながら…。


今振り返ると、高校時代だけでも、思い込みを問い直すための種はたくさん蒔いてもらったなと感じています。
そして大学進学後、自分の専攻とは別に、私はイスラームやイスラエルについて、(私の脳の限界の範囲内で)学んでいくことになりました。

長くなったので、つぎの記事で書きますね。
引き続き、お付き合いいただければ嬉しいです。





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