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「答え合わせ」の旅⑦

たったの24時間

4時間弱の空の旅は13時間以上のフライトを終えた私にとって、もはや秒だった。短いからと今度は席指定しなかったが、2-4-2と並んだ席の4の左端の席に私は腰を下ろした。座って待っていると、明らかに日本人顔の女性が目の前に現る。
もうイスタンブールから日本人の姿が少なくて逆に日本人に会うと気まずい、と言ってた初心者インフルエンサーは見事にその機に何人しかいないだろう日本人の隣の席を引き当てた。こういう予言は当たらなくていいのに。
お互いに、在住者か?日本じゃないアジア人か?みたいな疑念がうっすらあり、うっかりと日本語も発せずに、アイコンタクトで先に座ってた私は席を立って彼女を座らせた。

機内での記憶は彼女の記憶以外ほぼない。写真を見返すと軽食が出ていたようだ。パックに入った水が斬新。ここにはチェルリィジュースはなかったかオゥリンジを選択してる。記憶も画像フォルダの時系列もぐちゃぐちゃのせいかさっきの機内で出たのかと勘違いしていた。

左上のきゅうり&チーズ&オリーブが私の口にはNG。残した。

体感は大げさに言えば新宿駅と代々木駅ぐらいの発車&到着ぐらいの秒だった。その日2回目のタイヤと滑走路の接触の衝撃を体全身に受け、とうとう私はオランダ・スキポール空港に着いた。オランダ時間10時台。日本で家を出てから実に丸24時間経っていた。

遠い遠いと思っていたオランダ。
そう簡単には行けないと思っていた国。
着いた第一の感想は24時間で着くのか、だった。
距離を遠くしていたのは自分自身だったことに気付く。
「行ない」を「行ない」に変換して、
行かない理由をあれこれつくっていたのもすべて自分だった。

20年もかかっちゃったね、と中学の自分に語り掛ける。
うるっとぼやける視界。

次は荷物のイラストのマークの方向を目指す。
歩いてくと列が詰まり出し、通行制限で歩みが止められる。
聞いたこともない言語を発する係員はその中の特別な人たちだけガードを上げて先に列を通す。あの人たちはなんだろうと不思議に思ってると、オランダ籍の人か、と気付く。帰国か。こっちはこんなに不安を抱えているっていうのに安心しきっちゃって、と彼らに変な嫉妬を覚える。

なかなか進まない列を抜けると次に待ち構えるは入国審査だった。
ここも長い行列をなしており、いつ出れるかわからない。なかなか進まぬ列にようやくカウンターの前までたどり着いた。私の前にカウンターにいたアラブ系の数名はまとめて呼ばれ出し、厳しい審査の長い長い尋問ののち、別の場所へ連れていかれていってしまった。
「Next」と呼ばれた欧州なら35には見えないであろう童顔女(国籍:Japan)は何かを聞かれるも何を聞かれてるかさっぱりわからず、困り笑いをしながら首を傾げていると臙脂色のパスポートを返され通って良いと言われた。
つくづく日本という国に対する世界の信用度の高さに誇らしさを覚える。と同時に、前のアラブ人たちとの対応の差に日本人が何もしないと思われているのか?なめるなよ、と懐疑的な感覚になる。別に何をする気ではないのだが。

人の多かったスペースを抜け、Baggageマークを目指し、荷物受取所に着いた。入国審査の広場と比べ広々として重々しくなく空気がすがすがしい。
3年前のスペイン旅行ではまさかのロストバゲージに遭い、荷物が出てこなかった。この経験があるので、自分は大丈夫なんて過信は日本に置いてきた。
てことで1泊分の荷物はボストンバッグに詰めてきたので、最悪どうにかなるけどさすがに一人旅なので出てきてくれ。そしてできるならば壊れずに。

グォンという機械音のあとに回転寿司のように回りだすレーン。口を半開きで次から次へと暗闇から顔を出して現れる色とりどりスーツケースを見つめ、ピンクのスーツケースとの再会を祈る。

きた。

ぐるぐる回っていく相棒を小走りに追いかけ、取っ手に指を絡ませレーンから引き揚げた。久しぶりに足(タイヤ)を地上につけただろう相棒は寝ていたところを叩き起こされ、急に引っ張り回され、ご主人様にヨシヨシされさぞ混乱したことだろう。
ご主人様は嬉しさの余り記念撮影までして、インスタライブを回してついに憧れの地への到着を報告していた。

相棒との再会

気付けばフライトを終えてからもう入国審査や荷物待ちで2時間以上も経っていた。そりゃヘトヘトなわけだ。異国に一人で来たという強烈な刺激と体と心の負担が交わり、さすがに疲れを感じていたが、ここから一旦ホテルまで向かう。まだ気の抜けない戦いが待っている。
整理できる荷物はここで少し整理してから、動きやすくしよう。
また新たな戦いに向かわねばならぬ孤独な女戦士は、疲れを吸い取ってもくれないベンチから重い腰をあげて、出口へ向かった。

異文化との戦いは出口から先に待ち構えていた。