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*飛行機の中の思い出から


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(C)2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (C)住野よる/双葉社


映画「君の膵臓をたべたい」を振り返ります。

主人公の”僕”が回想していく形で進み、クラスメイトだった桜良が病気であることを知った”僕”が余命わずかな彼女と過ごす日々を描いた物語。


初めて観たのは2年半前、卒業旅行でイタリアへ行ったときの飛行機の中でした。

なぜだかとても印象に残っていました。

彼女との突然の別れに衝撃を受けたこと、最後の方のシーンでちょっと泣いたこと、それからタイトルの重要さをいまいち理解できなかった違和感を、すごく覚えていたのです。


そして先日、金曜ロードショーで2回目の鑑賞。

本当は次の日も仕事だったから観ずに寝ようと思っていました。過去に放送されたのを録画もしていましたし、また今度観ようと思っていました。

けれど見始めたら、しっかりと引き込まれてしまいました。


改めて観ていたらありました。タイトルの「君の膵臓をたべたい」に繋がるシーン。わたしはなぜ大事なシーンを見落としていたのだろうか。ちゃんとあったのに。あまり意識して観ていなかったんだな。

でも、初めて見た時に違和感が残ったおかげで、今回は見落とさずに済みました。

そして、彼女の結末もラストシーンも覚えていたのに、また泣いてしまいました。今度は、なんの違和感もなく。

さらには、初めて観たときとはまた違うところにも心動かされました。展開を知ったうえで観ているからか、細部まで読み取る余裕が生まれたのでしょうか。セリフひとつひとつを噛みしめることができたような気がします。


流されてなんかない。偶然じゃない。運命でもない。
君の選択と私の選択が私たちを会わせたの。自分の意思で出会ったの。

例えば桜良の家でのシーン。一字一句合ってるわけではないけれどこんなようなセリフがあった。自分がしてきた選択の結果がそうさせたってことなんだよな、と納得。

それから作中に出てくる「真実か挑戦か」というゲーム。

病院でのシーンで桜良は、相手に聞きたいことがあるけれど聞く勇気が出せず運に任せて賭けを選ぶ。”僕”は賭けなんかしないで聞けばいいと言うのに。

それも自分の意思で選んだ結果ということなのかな。

でも、運に任せたいことってあるよね。ゲームをしたいと言った桜良の気持ちがよくわかる。私からしたら、ゲームをしようと言い出せただけで十分すごい。その勇気すら出るかわからない。


どっちのシーンも、飛行機の中で見た時は、なにも気に留めず流れるように過ぎ去ったかもしれないけれど、いまの自分にはこうして書きたいと思えるシーンになった。

それってなんだか素敵だなと感じました。

だから、また観たいと思います。

その時々で、伝わるものが違ったり、引っかかる部分があったりなかったり、心を動かすものはきっと変わるだろうから、今の自分が観た感想をここに残します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


最後まで読んでいただきありがとうございます。少しでも「スキ」と思っていただければ嬉しい限りです。