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短編『何も気にならなくなる薬』その210

・二頭追うもの一頭も得ず
よくそんなことを言う。
しかし、追うものがない人も多々いる。
とりあえず今の生活を何とかすることに精一杯で、趣味がどうとか遊びがどうとか考える時間もなかったりする。
私にもそういう時期があった。
そもそも一頭追ってもまともに捕まるかわからない。
同じ志、同業者に横取りされるなんてことはざらにある。
「あれは俺の狙ってた獲物だ」
そんなことを騒いでも世の中は甘くない。
「名前でも書いてあったのかい?」
子供をあやすように諭される。
この獲物というのは私達の人生においていろんな姿になって現れる。
今追っている獲物は本当に自分にとって必要なものなのだろうか。
獲物と一緒に崖から飛び降りていたなんてのは間抜けなことこの上ない。
理想の獲物は常に変化していく。
二頭を追う瞬間があっても全然おかしくないと私は思うのだ。

・飲み物、コンソメ、着払い

「ニコニコ運輸です。着払いのお荷物です」
インターホン越しには会社名と間逆な表情をした配達員が映り込んでいる。
昨今の下請けの残業代問題だろう。
「有難うございます」
「ではコンソメを30袋ですね。確認をお願いします」
「はい、どうも有難うございます。あっ、そうだ」
私は買い溜めしてあったコーラの一本を彼に手渡した。
「お仕事頑張ってください」
「あ、有難うございます」
さっきよりも配達員の表情は柔らかくなり、うしろ姿はどことなく明るそうであった。
「いやー、同情ってのはお金になるんだな」

・原材料、秒殺

彼は思い込みが激しい。
「これ何のお茶」
「どく」
「うっ、苦しい」
「えっ、ちょっと、大丈夫?」
「どうして毒を盛ったの」
「毒なんか盛ってないよ」
「だって、毒って」
「いや、ドクダミ」
「あ、なんだ~ドクダミか」
本当に毒を盛ったのに、あれから彼には何の異変もない。
至って健康に過ごしている。

・競馬、中間、家庭教師
「あの、先生、もうすぐ中間テストがあるので勉強を見てもらえないでしょうか」
「あぁ、見るけどちょっとまってくれ、今、良いところだから」
「何を見てるんです」
「競馬だよ」
「あー、確かテレビで大きな大会があるとか言ってましたね」
「そうなんだよ。家庭教師といってもそんなに稼ぎはないからね、こういうことをして稼がないといけないんだよ」
「そんなに儲かるんですか」
「やってみるかい」
「え、でも、大したお小遣いは」
「まぁまぁ、何事も経験だよ。一着、二着、三着を当てればいいんだ。ネットで代わりに買っとくから」
「それもそうですね、じゃあ、1.9.3で」
「どうしてその三頭なんだい」
「一休さんの語呂合わせ」
「なるほど、そういう選び方もあるのか」
「じゃあ千円預かるよ。負けても恨まないことだ。授業料だと思って」
「はい」
「レースが始まるぞ」
大人と子供が息を飲み込む。
そして、ジュースの氷がカランと音を立て、出走。
「いや、そんなまさか」
「いけいけ走れ〜」
「今年は大きく荒れました、1.9.3。この結果を予想できた人はこの世にいるのでしょうかっ!!」
「先生!」
「いや、先生は君だ」
「これどうなるんですか」
「百倍だ」
「百倍……、いくらです」
「君は数学が苦手だったな、十万円だよ」
「十万円!」
「明日、持ってくるよ、もちろん逃げたりしない。それなら千円取られたと言ってくれれば警察も動くだろうから……、いや、必ず明日持ってくるよ。一つだけ約束してほしいのだけれど、このことを自慢したり、急に大きな買い物をしたり、羽振りが良くなったりしないように、お金がすぐに無くなるし、人間関係も悪くなるからね、これは先生からのアドバイスだよ」
「わかりました」
「じゃあまた明日……」
「ツトム!先生が来たわよ、あら先生、どこか具合が悪いんですか?」
「いえいえ、外が暑かったもんですから」
「そうでしたか、それでしたら家で涼んでいってください」
「えぇ、お言葉に甘えさせて頂きます」
「ツトムくん、約束の十万円だよ」
「これが十万円」
「先生との約束覚えているよね」
「うん、自慢したり、高い買い物をしたり、友達にお菓子を奢ったりしないよ」
「それならよかった」
「その代わり先生に教えてもらいたい授業があるんだ」
「あぁ、勉強なら教えてあげられるよ。なにが勉強したいんだい」
「えっと、グラフの読み方と現代社会」
「グラフの読み方と現代社会?どうしてその二つなんだい?」
「この十万円で株をやってみようと思って」
「株はやめとこう。その前に君の成績が落ちそうだ」

美味しいご飯を食べます。