沈思黙歩しよ、noteを始めます
流れ過ぎていく月日のなか、あのときあんなこと考えてたんや、と書き綴り、思い返す場を、再び作りたくてnoteを始めます。
「沈思黙考」をもじったタイトル、ちょっとたいそうな感じですが、自分にとってあらためて大事にしていきたくて掲げました。五十歳になって初めて、というかようやく気づいたり、大人になりつつある子どもの姿から教えられることが、このところ続いたりもして。
ぼくはこの20数年、山で暮らし、働いています。
その前は――めまぐるしい日々に通勤電車を待つ余白が、かつてかすかにありました。多摩川のひらけた河原で、向こうの方を歩く小さな人を見ていたのは四半世紀も前。
今は、梓川の瀬音に心をゆだねて、穂高の空を行き交う雲を見たり、見なかったり、歩いたり、立ち止まったり、していたいです。
「いま、余白はありますか?」
noteでは、上高地や信州の自然、山、そのときそのときで姿を変える風景を写しとったり、音や匂いを書き留めたいです。それに、山の中から世の中を見つめて、見えてくるものや、気づくことなども。
ゆったりした雰囲気を共有できたり、あるいは上高地や信州や、山っていいな、って思ってもらえたらとても嬉しいです。もし出かけるきっかけにでもなったら、本当にありがたい!
ときどきは、頭も心も身体もゆるめて、ゆったり五感で過ごしましょ!
(2007~2015年のブログ「山で暮らせば…」からも再掲載するつもりです)